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作品からの学び

最も賢く強い者が敗れる理由 〜なぜ大魔王バーンは地上消滅に失敗したのか?〜

バーンは「必要のない戦いを選んだことによって、地上消滅作戦を阻止され、自らの命を失う」ことになった。

作中で最も賢く、強く、勇者たちに幾度もの絶望を味わせてきた存在。それが大魔王バーンである。
が、そのバーンも最後は、地上の勇者たちに討たれる。
なぜそんな結末になるのか。

もちろん、作品のメタ的理由としては、「勇者たちが勝利しなくては終わらないから」なのだが(笑)今回は純粋に物語の読み解きとしての敗因分析、そこから得られる学びについて考察したい。

今回のテーマを考える上では、勇者ダイ含めた人間たちと、大魔王バーンの「最大の目的」をそれぞれ最初に整理してみることが大切だ。

その前段階として、まずは人間たちが作品世界の中で経験した事象にフォーカスを当てる。

ダイの大冒険の本編開幕後に、人間たちが観察・体験した事象は、「魔王ハドラーの復活と、世界征服の再開」である。ゆえに、「ハドラーに世界征服させないためには武力行使という手段が必要だ」という思考で、アバン、ダイ含めて人間たちは武器を取った。
しかし、後に明らかになるように、ハドラーは、大魔王バーンの指示で動いていただけだった。それも、目的を偽っての指示である。その指示を信じ込んだハドラーは、世界征服の野望を再び叶えることができると期待して行動を起こした。

大魔王バーンの真の行動目的。それは「地上消滅と魔界に太陽を得ること」であった。

ここで改めて考えてみる。バーンの目的のどこにも「戦闘、勝利、武力支配」という要素が存在しないことに気づく。

結論から言ってしまえば、大魔王バーンがとった行動は、まったく彼の目的に合致しなかった。
彼は、ハドラーなんて小物を復活させず、とっとと作戦行動を開始すべきだった。バーンパレスを飛行させて、ピラァオブバーン(黒の核晶)を6個落とし、連動爆破によって、地上を吹っ飛ばしてしまえばよかった。
それを速やかに行っていれば、誰もバーンの意図に気づくことなく、目的は達成されていただろう。

結局のところ、バーンは「必要のない戦いを選んだことによって、地上消滅作戦を阻止され、自らの命を失う」ことになった。
最も知恵と力を持ちながら、最も不本意な結末に至ったのはバーンなのだ。

もちろん、その目的が速やかに実行されてしまっては漫画にならないのだが…。
とはいえ、なぜバーンが余計なことをして、失敗を繰り返したのかを考えてみることから、私達は学びを得ることができる。

バーンはなぜ、まったく必要のない戦いをしたのか?
それを解くヒントはこのシーンにある。

▲ダイの大冒険(三条陸 / 稲田浩司)文庫版 13巻より引用

バーンは、ただ単に目的を遂行するには、あまりに自分自身に力がありすぎた
優越感を得られる娯楽と余興を求め、そのはけ口として「後世まで知られる軍団づくり」と「自身の戦い」を選んでしまった。
特に、後者の「戦いを楽しんだ」、それが究極的な敗因である。

現実世界において、仮に私達が目的を掲げるとき、それは難しすぎては意味をなさないが、簡単すぎても同じくらいに意味をなさないものである。

バーンにとって、地上消滅は簡単すぎたのか?いや、そうではない。彼にとってすら、当初の時点では相当困難だったのだ。それは彼自身も語っている。数百年にわたる構想をもった「事業」として、じっくりと、真意を隠して、取り組んできた。
ただ、その取り組みは、着々と進み、完璧に行きすぎたのが落とし穴だった。結果的に、最後はもう自分でほとんど何もせずとも地上消滅ができる準備が整ってしまった。
そこで、彼は悪い癖が出た。娯楽と余興を求めて、ハドラー復活と偽の目的の伝達という選択をとってしまったのだ。
その結果「ダイの大冒険」が始まり、最後はバーンはダイに討たれて、恋い焦がれた太陽を背に消えていった。

ダイ含めた人間たちにとって、戦いは目的ではなく、手段である。最大の目的は、地上の平和を守ること。その目的のマイルストーンとなるような目標としては、平和を脅かす全ての事象の阻止、が挙げられる。さらにその具体的手段の1つが、「もし脅威が敵ならば、それと戦う」ということになっている。
仮に敵であっても、対話や交渉の結果、戦いを回避できるなら、喜んでそうする。「対話・交渉」と「戦い」は、相補的なオプションとして働くともいえる。それは、バーンを敗北に至らしめた「絆の力」にも大きく関係している。

それに対して、大魔王バーンにとっては、最大の目的は地上消滅であったものの、作戦実行フェーズにおいて余裕ができてしまい、娯楽と余興が、本来の目的とバッティングする形になり始めてしまった。

見方を変えるなら、手段の目的化が起きてしまったのである。
戦いが目的化してしまう問題は、対話や交渉の余地を持ち得なくなることだ。
あくまで戦いが代替可能なただの手段であるなら、ほかのオプションがある。ダイたちにとっては最後まで、戦いは1つの手段だった。そこは変わらなかった。
しかし、戦いの目的化の罠にハマってしまったバーンは、最後はより強い力によって討ち取られる結末しかなかったのだ(ダイが竜魔人化さえしなければ、彼は勝ったのかもしれないが)。

▲ダイの大冒険(三条陸 / 稲田浩司)文庫版 22巻より引用

現実にも、手段の目的化はあちこちでよく起きている。もう少し丁寧に言語化するなら、「理性的に堅牢に組み立てた目的であっても、情動要素の強い手段(たとえば戦い)にハマることによって、容易に見失われる」ということかと思う。

さて、では本記事の最後に学びを抽出して、思考してみよう。
私達が何かに取り組んでいくときに、本来の目的を見失わないようにするにはどうしたらよいか?

おそらくざっくり分けて2つの対策がある。

1つには、「手段が持つ感情の強さ」をしっかり認知しておくことだ。それに引きずられることも織り込んだ上で、目的を立てつつ、現状に合わせて自己認識を更新していくことが重要だ。たとえば、優越感という快楽は、私達を簡単に狂わせる。

もう1つは、「耳の痛いことを言ってくれる存在を近くに置く」ことだ。本来の目的を共有し、それから逸れる行動を取りそうなときには厳しくそれを指摘してくれる存在がいて、それに耳を傾けることができるかどうかが、リーダーには問われている。
企業が社外取締役などを置く理由も、そういった観点が1つある。側近がイエスマンしかいない裸の王様は、目的を見失いやすいのだ。

ダイの大冒険において、大魔王バーンの側近は、忠実ではあるもののイエスマンであるミストバーン、利害対立者(ウェルザー)の手下であるキルバーン、の2人しかいなかった。最大の目的からの逸脱を諌めてくれる者はいなかったのだ。

▲ダイの大冒険(三条陸 / 稲田浩司)文庫版 18巻より引用

「大魔王の言葉がすべてに優先する」というのは、「目的を逸脱する最高権力者を諌める者がいない」ことを意味する。
バーンは、敗れるべくして、敗れた。

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Masaki

作成者: Masaki

合同会社エンドオブオーシャン代表。ゲーム会社、EdTechスタートアップなどで勤務の後、フリーランスを経て創業。ダイの大冒険を深く語り尽くすためにPodcast「Cast a Radio」を開設。