ダイの大冒険(2020)第92話が放送された。タイトル「天地魔闘の構え」。ミストがヒュンケルの体内で消滅し、真バーンがダイのギガストラッシュを天地魔闘の構えを初披露して完全に迎撃しきるところが描かれた。

まず今回着目したいのがオープニングであろう。曲はBravestで同じだが、なんと真バーンによる天地魔闘の構えがラーハルト、ヒム、アバンの3人を打ち倒すシーンがすでに入っているではないか!前から思っていたけど、このオープニングはネタバレにならないんだろうか(笑)。そのあとでポップとダイが隙をついてバーンに攻撃するところも描かれる。だが、このときのダイのストラッシュは右手で放つアニメーションになっていた。実際漫画原作ではバーンの左腕を切り飛ばすのはダイが左手で放つストラッシュXなので(ダイの右腕は今回アニメで描かれるようにバーンのカラミティエンドで傷つけられているから)、このオープニングはなるほど実際のネタバレになっていないといえばなっていない(笑)。

さてヒュンケルの意識を進むミストであるが、しっぽの部分?だけが妙に動いていることに気づく。漫画だと分からなかったけど、どうやらしっぽを動かしてその推力で意識を進んでいるらしい。といっても意識世界は物理的なものではないから、あくまでミストまたはヒュンケルの見えているイメージがこうだった、というほうが適切なのかもしれないが…。

そして魂を見つけたミストの説明の中で「おまえは死ぬ」と言っているが、ふと思うのは、ヒュンケルのこれまでの強さというのは、彼の強い意志あってこその強さだったような気がしていて「生きた人形」と化したヒュンケルにさほどの肉体強度があるのかというとどうも疑わしい気がする。魂を砕いてしまうのはミストにとって失敗する賭けになる確率はなかったんだろうか…。

そして光の闘気をもろに浴びるミストだが自らの消滅のピンチなのに喋りすぎではなかろうか。もうちょっと、逃げるとかなんとか、頭を使うべきではないんだろうか…。最後のチャンスを逃げることよりしゃべることに使ってしまった気がするミスト。だがそういう意味では、このあとでヒムが言う「本望だろうよ」というのはあながち間違っていないのかもしれない。私はいままでずっとこのヒムの台詞を「そんなことあるかなぁ」と思っていたのだが、案外ヒムの言う通り、意外なほど最後のミストは自らの消滅を受け入れていたのかも知れない。

さて、ミスト消滅して、私が一番気になったのは「バーンのノーリアクションぶり」である。仮にも自らの若い肉体を数千年守ってくれた忠実な部下が死んだのである。もちろんそれをこの瞬間のバーンが検知していたのかどうか、それは描かれていないから分からない。いままでと違って、肉体のつながりがミストとバーンの間にあるわけではないから、過去に仕えていた脳の秒速通信的ものももう使えないのかも知れないから。肉体を返上したミストがヒュンケルか誰かの肉体を首尾よく乗っ取って、ダイの仲間たちを蹴散らすところまでを予想していたのかもしれない。なるほど、そうだとするならこの時点のバーンのノーリアクションぶりは仕方ないといえる。だが、おそらく次週描かれるところでは、ポップやヒュンケルたちはバーンのもとにやってくる。それはつまり、ミストの敗北と死を意味している。そのときに及んでも、バーンは果たして何も思わなかったのか?忠実なる部下の死は、所詮はただの「弱き駒が去ったのみ」だったのか。このあたり、どうにも心中は分からない。

このあと、ダイとバーンの会話になるが、これは原作とは順番が少しだけ違っていた。原作では、マァムが意識を取り戻したあとの場面になっているので。アニメでは、少しだけ順が違った。そして、再びホワイトガーデンに舞台が戻り、ポップと老師の無事が確認される。そして、マァムに盛大に踏みつけられてボコられるポップになる。このときが原作よりもコミカルに描かれていたのが面白いなと思った。終盤になるとシリアスシーンが増えてギャグシーンが減るが、その中では貴重なギャグシーンとして多少原作よりも強化されたのかもしれない。なにより、原作で誰が言ったのか分からなかった台詞の話者が判明したのが原作読者としては大変おもしろかった。「マァム落ち着け気持ちはわかるが」というのはクロコダインの台詞であり、「あーあせっかく回復したのに」は老師というかビーストくんの台詞だったのね。

そしてラーハルトが鎧のパーツを下に落とすシーン。これ、いままで全く気がついてなかったのだが、なるほどミストにボコられて調子が悪くなったパーツを脱ぎ捨てた、ということだったのか…!?しかし鎧の魔槍のおそるべき自己修復機能ならば、そんなとこに捨てていかなくても修復しそうなのだが。いやもっというと、この切り離されたパーツはどうなるのか。まさかこいつも再生するのか?いやはや色々考えると恐ろしい。さすがベルクさん。

このあとラーハルトがマァムにボコられたポップを見て「あいつに限らん、ダメージが大きいやつは…」というところ、これポップのことを言っているのだと思うが、冷静に考えると真顔でとんでもないジョークを言っているぞラーハルト。だってポップにダメージを与えたのはミストがいなくなったあとの通常マァムという味方じゃん…。それがダメージを与えるほどポップを殴るなどというのがありうるのだろうか。それとも、これはラーハルト流の新たな味方たちへの気遣いと、ちょっとしたジョークだと受け取るのがいいのだろうか。うーん、たぶんそうなのかな。

このあとポップがふたたびしゃべるところでは、なんとマァムが回復呪文をポップにかけていた!これ原作では手を添えていただけだと思っていたので、アニメとしてちゃんと回復呪文が描かれていて、いやはや面白いというか、マァムの優しさがちゃんと行動にして現れているのだと思った。

Bパート冒頭にバーンのカウントダウンが入る。これ、原作読者は多くが気づいたと思うが、原作では10秒だったカウントが5秒になっていた。多分アニメとしてのテンポの観点だと思うが、なるほどたしかにアニメならばこれでいいのかなと思う。

このときにバーンの演説で流れる音楽が、なんというかすごくハリウッド映画的な感じがした(笑)。インディー・ジョーンズとかそういうので、ちょっと不気味なラスボスの登場のときみたいなかんじ。

このあとでレオナはバーンに睨まれて「凍りそう」と感じるわけだが、このときに画面に描かれるのがバーンのふつうの両目のほうであるのがミスリード的で面白いと思った。実際にのちにレオナが宝玉にされてしまうのは第三の目である鬼眼の力だ。だが、このときにのレオナはあえて両目のほうから感じている。

「数百年ぶんの若さを奪ったお前ら」とバーンが身勝手な文句を(笑)いうところで、これ今回アニメで見て初めて気づいたのだがバーンは「私の」と言っている。なんと、バーンの一人称に「余」以外があったのだ…!これ原作の書き間違いとかではなく、アニメでもしっかり「私」と言っているわけで、意図的な演出である。うーん、なぜここだけ彼は「私」というのだろうか。そのあとすぐまた「余」に戻るんだけど。
無理くり解釈をひねり出すとすると、ここは肉体を保管していたほうのミストの気持ちが多少まだ残っているのかも知れない。彼の一人称は「私」だったので。ミストは死んだが、ほんのわずか、残留思念が一人称の形でバーンに残っていた。って無理あるわ!

このあとでダイが「わかるよ」と言っちゃうところが、やはりこのダイの大冒険という作品の奥深さである。というか、ほかのバトル作品とキャラクターの作り方と物語の作り方で差別化されているところと言えるのかもしれない。御存知の通り、ドラゴンボールの主人公、孫悟空は倫理観よりバトルの快感を優先するバトル至上主義である(笑)。一方たとえばるろうに剣心の主人公緋村剣心は過去の暗殺の歴史から逃れられず正義と倫理の間で苦しみ続ける。そもそもが、主人公がたんに正義の塊などという作品はあまりおもしろくないわけで、えてして傑作漫画や映像作品の主人公にはもちろん倫理観や思想はあるものの、単純に正義の御旗を振るわけでもない。それでいうと、このダイの大冒険という作品のすごさは「世界を支配せんとする魔王軍」という明確に悪というレッテルの貼られた敵を相手にした主人公たちは必然的に「正義と善」の御旗を振らざるをえないという構造を所与のものとしながらも、その安直な典型にはまらないキャラクターたちの内面豊かな行動が描かれるところにあるだろう。正義のひとりであるポップは当初は逃げてばかりで読者からもかっこいいとは思われないキャラクターであるが、中盤から苦悩しつつも大きな精神的成長を遂げる。対して主人公ダイは、当初から善で明るい心を持ちつつ、途中で種族のアイデンティティと家族の問題というのものにぶち当たり、持ち前の明るさを失うと思いきや、レオナという大切な存在によって「ひとりへのブレない愛に始まる、人間と地上の生物すべてへの献身」という作中だれひとり到達しない境地に足を踏み入れていく。ただその言動が、純真というか、素直なものであるがゆえに、読者たちにその違和感を持たせない。
改めてこの場面もそうだが、最高に愛あるアニメ化によって、ダイの大冒険という作品のすごさを感じ入った。

とまあ、そんなダイに対して「地獄を味わわせる」と言い切るバーン。ここはまあ見事に悪としか言いようがない。が、このバーンの強すぎる悪があるからこそ、相対的にダイは正義を代弁しているのかなという気もしてきた。勇者が勇気あるものだとすると、しかして正義の使者だというわけではない。果たして勇者とはなんなのか。この問もまた難しい。

どうでもいいけど、「離れているんだ」といったあとのレオナがなんか一瞬で遠くに行った気がする。レオナ、テレポート使えたんか…。

ギガストラッシュを撃とうとするダイが、なんかてけてけ走りなのがちょっとおもしろい。あ、そういう感じなんだ(笑)。

そして、ギガストラッシュは完全に天地魔闘の構えに撃破されるのだが、このシーン、なんか思ったよりあっさり描かれてしまったなと思った。というのは原作だと、コマ割りや絵も含めて、もっと強烈な技の密度を感じたように思ったのだ。ここはなぜわりとあっさりとした描き方にしたのか?私の答えとしては、それはこのあとのシーンをテンポよく今回のエピソードに入れ込むためではないかと思ったのだ。原作ではいまいちわからなかったが、ぶっ倒れていたダイの横をあっさり素通りしてレオナに近づいたバーンの恐ろしさと、それに対するダイの怒りを感じさせる。
あと、アニメのバーン、ほんとにでかいね。原作だと、レオナが身長150cmでバーンが190cmくらいに見えるんだけど、アニメだとあきらかにバーンが300cmくらいの身長があるんだよな(笑)。なぜだ!これは心象風景として捉えるべきなのか(レオナには恐ろしく、実際以上に巨大に見えている)、あるいはほんとにこのデカさなのか。次週以降の描写が楽しみである。
ふと思い出したけど、ロモス武術大会でマァムに秒殺された巨大戦士がこんくらいデカかったような気もする。あいつ、ふつうの人間だった気がするなぁ…。


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