ダイの大冒険(2020)第93話が放送された。タイトル「瞳の宝玉」。レオナがバーンに傷をつけるも、バーンによって瞳にされてしまい、また駆けつけた仲間たちも次々と瞳にされてしまうシーンが描かれた。

今回タイトルもそうだし話を見ていても思ったのは、どうも今回のアニメ版では「瞳の宝玉」というネーミングで、原作における「瞳」が呼ばれているらしいということである。基本的には「瞳」が基本名称だと思ったので、宝玉という言葉としての装飾?がついたのが面白いなぁと思った。そのほうがわかりやすいからだろうか。

さてそして倒れたダイを尻目にでかいバーンがレオナに「歌姫になれ」と言い放つシーンであるが、またも音楽として男声歌唱が流れていた。なんかバーンが傲慢にどやっているシーンでこの曲は流れがちだ。

バーンが「愛する人間の本性を〜」というところ、これはダイに対して「愛するレオナの本性を」という意味で言っているのだと思うが、レオナの本性とはなんなのだろうか。そもそもダイを大切に思うことそのものがレオナの本性だと思うのだけど、バーンの思考回路ではそのようにはなってはいないようだ。基本的にバーンは人間に対する洞察は、種族全体としてはなるほど慧眼かもなという部分があるが、人間のポテンシャルや魂に対する過小評価も含めて、そもそも人間の可能性を捉えきれていないという意味で、ここはバーンの台詞は正しいというよりむしろバーンの思い込みとして捉えるほうがいいんじゃないのかな、と今になってみると思う。

ダイに対してバーンが大量の爆裂系呪文?を放つところ。空中のなにもないところから大量に呪文を生成しているのがそもそもすごい。やっぱバーンは強いなと思いつつ、ダイがほんとにゴロゴロ転がり続けているのがアニメだと感じられて、いやいやそこまで立てないのかダイよ、と少し思ってしまった。あそこまで転がるほうが立つより難しい気がするんだけど、ただここはある意味でダイのメンタルが折られていてなかなか立てないと捉えるべきなのであろう。

そして!バーンのカイザーフェニックスの瞬間にレオナがバーンをナイフで傷つけるシーンが描かれる。このときのレオナの「ハァハァ」という緊迫感が凄い。ここはもうアニメーションの描き方の力と、レオナ役の早見沙織さんの演技の見事なシンクロであった。ダイ好きTVで種崎さんが言っていたが、リハーサルというか、事前テストのときともまた結構早見沙織さんの演技が違っていたようで、いやはやここはレオナの魂の演技が炸裂した。

が、バーンに瞳、いやアニメ版に敬意を評して「瞳の宝玉」と書くが、それにされてしまったレオナであるが、なんと、瞳が赤い!いやはや全然赤だと思っていなかった。たぶん人によっていろんな色を想像していた or そもそも特に考えていなかった色の話だと思うが、今回アニメによってかなり濃い赤だと表現されたのは面白かった。のちにわかるとおり、人によって色が違うわけでもなく、みんな赤のようである。人間の血の赤?と思ったけど、クロコダインやらでも赤なのでこれは別に血の赤ではなさそうだ。

ダイがバーンの天地魔闘の構えへの対抗策として「まったくスキが無いならいっそ」と思いつくアイデア。これは原作でもあったが、私はずっとこのシーンが後のどこにつながるかあまり考えていなかったのだが、今回アニメでみてようやくわかった。あ、つまりこれはのちにポップがいう「必殺技を全部食らう」というところにつながるのだと。だから、ダイとポップは話し合わずともバーン打倒の道筋で同じシナリオを思い描いていたということになるのだろう。

Bパート、カラミティエンドのところから始まるが、ここはポップがダイを救う。しかしこれよく考えるとめちゃくちゃ恐ろしいというか神業のタイミングではないだろうか。大魔王の恐ろしい威力の手刀に飛び込んでルーラでダイを救うのは、それこそ真ミストバーンにメドローアをしかける時以上の絶妙さと勇気を求められると思うのだが。平然とここでカラミティエンドに飛び込んでダイを救ったポップの「当たり前になった勇気」こそ、彼の勇気の使徒としての最大の成長のあらわれかもしれない。

からの、バーンの「うざったい」発言からの大量瞳の宝玉化光線発射である。これにより、老師、マァム、ヒュンケル、クロコダイン、チウが宝玉となってしまうわけだが。原作とちがってオリジナル要素として老師の「ふう〜」が入っていたのが個人的には良かったなと思う。老師はミスト戦で「次の世代を救うために」命を賭して全力を出したので、ここではお役御免ということで本人も納得しているのかなと思う。
ヒュンケルの宝玉化はまあこれはしかたない。もう全身ボロボロなので。
マァムは、これは若干納得がいかない。ミストにやられたといっても、ポップを(喜びの照れ隠しというクロコダインの名解説があるとはいえ)ぶん殴れるくらいの元気があったわけだし、回復呪文もかけてあげていたので。それでミストにやられたダメージが、といってもやや微妙ではあるが、しかしまあミストに身体に入り込まれたという意味で暗黒ダメージを受けたという点では仕方ないのかも知れない。
チウのレベル外…まあこれはいいとしよう。
だが、全国のクロコダインはこのシーンのアニメ化をもっとも楽しみにしていたと思いつつ、同時に恐れてもいたが、カットされることなく、アニメ化された。そう、クロコダインのレベル外通告(しかも味方のポップから)である。

今回アニメとしてある意味意外だったのは「悪いけどおっさんとチウはレベル外」発言のあとの「おっさんとチウのレベル差自体が〜」のところの台詞がカットされず残ったことである。これは驚いた。てっきりカットだと思っていたので。

ということで、ここのレベル外について改めて考えよう。議題としては、「本当にクロコダインはレベル外なのか」である。誰もが知るとおり、クロコダインはバランのギガブレイクを2発耐えた実績がある。これは作中のほかのキャラでは大半が無理な偉業である。それをやってのけたクロコダインが本当にレベル外などということがあるのか。これまでダイの大冒険ファンたちが20年にわたって悩んできた(ほんとか)問を考えてみよう。

私の意見は、結論としては「ある水準以上の体力が減っている」または「攻撃力がバーンの基準に満たない」このどちらかに該当した瞬間に宝玉化の基準ラインを下回るのではないか、というものである。
体力低下については、老師やマァム、ヒュンケルが該当するだろう。そしてクロコダインとチウは体力は当人たちのベースとしては十分な割合にあったと思うが、「攻撃力の基準値にとどかない」から宝玉化された。これなら、高い防御力を持つクロコダインが問答無用で宝玉化したとしてもやむを得ないのではないか。たしかに獣王会心撃はロモス王程度も倒せなかったので(まだ言っている)。

ただなんにせよ、本当にバーンというか、鬼眼というかの恣意的解釈次第でどうとでもできてしまう能力であるとは思う。はっきり言ってチート中のチートである。天地魔闘の構えよりも、ある意味ではるかにズルい。恣意的な基準運用でピンチになったら宝玉化しまくれば勝利確定ではないか。いやもちろん、ダイは最後まで宝玉化しなかったと言われればそうだし、それはバーンの意志じゃなくてダイが強かったからだと言えるのかもしれないが、バーンが再三言うように「楽しませろ」という文脈でダイたちに戦いを要求している以上、どこまでいってもバーンの気分次第という可能性はぬぐえない。

後余談だけど、レベル外という「レベル」という表現が面白い。ダイの大冒険のコミックでは、たしかにところどころにキャラクターパラメータがあってレベルや強さが記載があったが、あれはあくまでゲームのドラクエのオマージュとしてのネタであり、作中世界ではレベルの数値化という表現はない。むしろ三条稲田先生のコンビとして後に出した作品である冒険王ビィトでは、明確に人間たちにも魔人側にもレベル/星という数値化の概念が出てきていたりするが、ことゲーム原作といえるダイの大冒険ではそのような描かれ方はない。かように考えると、ここでポップがレベルという、ゲームの概念(もちろんレベルという言葉はゲームに限るものではないかもしれないがドラクエ発祥である作品なのだからここではそう捉えるのが自然だろう)をメタ的に持ち込んできたという、ここは三条先生の遊び心というか、クロコダインをやむなく戦力外にしなくてはいけないという中での愛なのかもしれないなと思う。そしてアニメ制作陣の皆さんはそれを受け継いだのだ、と。
ダイ好きTVでサイトーブイさんが「瞳にすることで作画カロリーをへらすのでは」と言っていたが、ダイの大冒険展のすさまじい原画を見ると、いやはやそれくらいやらなかったらもたないよ、というのは全くそう思った。

なお、今回アニオリの台詞として、ヒムが宝玉のなかのメンバーを気遣う一言があり、ダイがそれに返事をするところがあった。これもなかなか面白いなぁと思った。

アバンがポップをマトリフに重ね合わせるシーン、描き方がいいなぁと思う。音楽も含めて、このあとへの盛り上がりを作っていた。

からの、バーンの「天よ叫べ、地よ唸れ、魔の時代来る」という天地魔闘の構えにつながるシーンであるが、改めてアニメで見て、天地を全部震わせるほどのバーンの力の異常さを感じた。こんな相手に数人で勝とうというのは、いや何人いても一緒かもしれないが、どうやっても勝てるわけがないという圧倒的な力の差を感じさせる。いい演出だと思う。

そこに飛び込もうとするヒム、ラーハルト、アバン。原作では、3人が飛び込んでからダイが「だめだみんな」というが、アニメだと少し順番が違い、ダイがダメだという言葉を聴いてから、わかったうえで3人が飛び込んでいった。なるほど、この描き方のほうが、より3人の覚悟とダイ・ポップへの信頼が感じられていいなぁと思う。

ポップがダイの「やめさせなきゃ」をぐっととめて、唇を噛んでいるところ。ここはポップの覚悟がでている。原作でももちろんそうなのだが、ここまでアニメでポップを演じてきた豊永さんの声と演技で、このポップを表現してくれて、改めて感じるものがあった。

宝玉化される寸前のアバンの台詞、これは完全にポップに向けられたものだった。ランカークスを飛び出して勝手に弟子入して、しかし強い敵から逃げ続けなかなか成長せずにいたポップが、ダイとの出会いから圧倒的に過酷な戦いに身を投じることになり、命を賭して成長してきた。その過程の多くを見ることがなかったが、であるがこそ、大きく成長した弟子を見て満足というか心からの信頼をもったアバンは、ポップに「自分を信じろ」「ダイを信じろ」ただそれだけを伝えたかったのだろう。そんなことを思った。


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