ダイの大冒険(2020)第87話が放送された。タイトル「勝負をかけた攻撃」。ヒムがミストバーンにほぼ勝利して、とどめを刺す寸前に行く一方、ダイはバーンの同時攻撃をしのぎ切り、ドルオーラ連発でバーンを吹き飛ばすところまでが描かれた。
ミストバーンとヒムが会話するシーンで、命と闘気に関してヒムが「論理的な説明なんかできない」というところ。めっちゃ野暮なツッコミだけど、そんなに論理的な説明ができることのほうがダイの大冒険世界の中では少ないような気がするので、ヒム、そんなところは気にしなくていいんじゃないか。というかそこをちゃんと考えようとするあたり、ヒムは結構マメなやつだということかもしれない。
このあとでチウが「ぼくもそう思うぞヒムちゃん」というシーン。これは原作でもあるが、アニメでもしっかり描かれて、パーティたちの表情が無言で静止画のように挟まれていた。
改めて思うのだが、特にこの物語終盤におけるチウの役割というのはいったいなんなのだろうか。よく言われる話としては、ボケをかますとか、ずっこけるようなこととかを言って、シリアスな場面を和ませる役割&弱いキャラの成長を描くという役割として、それまでポップが担っていたものが、ポップが大魔道士覚醒後にはその役割を担えなくなってチウに渡されたという話がある。
だが、このヒムの想いを受け止めて肯定するという役割はそもそもポップにはなかった役割だと思うし、これが他にできるのはおそらくいないだろう。
チウの存在というのは、「人間ではないモンスターが人間にあこがれて、あるいはなんならマァムにちょっと恋をして(?)いる妙なヤツながら、ほかのパーティの主軸に比べれば明らかに弱いながらに勇気を出して戦うことで周りの者に勇気を与える」という存在かと思う。
ただしチウの場合は、自らの戦闘力を高めることでパーティの戦闘員としての一員を担うという役割は作者から与えられることはなかった。自らの戦闘力ではなく、獣王の笛を使ってモンスターの部下を増やし、部下たちの指揮を取ることでサポート的にパーティに貢献している。
ただ彼の面白さは「サポートにまわる」などとは決して言わないし、そのような自覚がないところにある。結果的に彼はサポートに回っているのだが、サポートというと一般的には「一歩引いて」ということになりがちだが、彼の場合は自らが前面に出ることを好んでいるし、それによって結果的に道が開かれているところが興味深いところだ。
前回までに、ヒムに対して「獣王遊撃隊に加えてあげる」という勝手気ままに見える振る舞いをして、さらに今回ヒムのアイデンティティの語りを受け止め肯定する。見方によっては「弱いくせになんでこんな勝手なんだ」と腹立たしく思う読者/視聴者もいるのかもしれない。だが、現実この時点までで、ヒム自身のアイデンティティの拠り所がないことは確かだと私は思う。
たしかにハドラーから受け継いだ髪と闘気はあるのだが、彼自身は「ヒュンケルといつか決着をつける」「とりあえずそれまで目の前にいる敵は倒す」という言い草でパーティに加わっている。これはラーハルトとの大きな違いである。ラーハルトは主君バランの遺言のもと、使えるべき新たな主君のために命を投じるという明確な行動理由がある。それに対してはヒム自身の決意は、あまり根拠がなく、心もとないと言えよう。
そこに対して、いわば超絶なおせっかいというか、好き勝手な振る舞いとして「パーティに加わる」理由を作ってくれたのがチウの「勝手に見える」行為なのではないだろうか。
ではなぜ戦闘力の高いヒムが、はるかに自分より弱いチウの部下になることを受け入れたのか?それまで彼が仕えていた主君ハドラーとはあまりにその外見も資質も異なるチウというねずみのモンスターを「隊長」として受け入れたのだろうか。
ここに関して作中で明言はないため、私の勝手な推測でしかないわけだが、語るとするならばここには「守るための闘いがしたい」というヒムの内なる動機が合致したのではないかと思っている。
ハドラーを確かに守ることがハドラー親衛騎団の務めではあった。しかし一方戦闘力としてはハドラーは高く、そしてダイとの一騎打ちを望んでいた。そのハドラーが死に、その魂と闘気がヒムに受け継がれるような状況になった中で、ヒム自身はたしかに「ヒュンケルに勝ちたい」という強い気持ちはあったものの、それ自体は数話前の拳ファイトで闘いは実現したし、そしてヒュンケルは再起不能になってしまった。加えて状況は大魔王バーンによる世界の破滅が近づいている中で、バーンを打倒しないことに未来はないという事実認識もできている。
とはいいつつも、やはりヒム自身は自分から、ヒュンケルを守る闘いをしたいと言い出すことはできない。
そのようななかで、チウが強引に「部下にしてあげよう」と言ったことは、非常にバカらしい勧誘ではありつつも、ヒム自身が心のどこかで求めていたあり方だったのではないか。
そして実際チウがどのように受け入れられているかをヒム自身がほかのパーティメンバーを観察して判断するなかでは、たしかに戦闘力は弱いものの、独特な存在感や貢献によって、一定の信頼を得ている存在だという認知も成立した。
その中で、ヒムの心はチウを「隊長」だと受け止めた。言い方を変えるとチウが受け入れる、という姿勢を、ヒムが受け入れたとなるだろうか。
そして今回の「ありがとよ隊長さん」に繋がり、だからこそヒムはさらに強い闘気力を発揮して、ミストバーンを打破するのである。
ただこのあとチウの「え?ぼく?」が原作どおり入ったが、ここはよくよく考えると意味がわからない(笑)。別に隊長と部下とかいう理由じゃなくて、チウの戦闘力ではどうやってもオリハルコンは砕けないと思うのだが(笑)。まあこのあたりのボケっぷり、なんかズレてる感がチウらしさなのかもしれないが。
さてピンチになりつつあるミストバーンが、謎の通信によってバーンを呼び出すが、闘いに没頭しているバーンは呼びかけにきづかない。
この呼びかけのとき、ミストバーンの目から謎の白っぽい煙なのかオーラなのかよくわからないものが出ているアニメオリジナルの表現がちょっとおもしろかった。これはなんなんだろうか。
そしてダイとバーンの闘いのシーンが描かれるが、ダイが剣を何発か打ち込んで、光魔の杖の軸部分を叩いているところが描かれる。え、ここ、光魔の杖は折れないの?と思ってしまった。だって、光魔の杖のブレード部分は魔法力によって生成されているから強いとは思うけど、軸部分はそんなオリハルコンの剣でしかも双竜紋ダイの攻撃を耐えられるほどの強度があるのか?
ヒムがオーラナックルを打ち込んだあと、「肉を切らせて骨を断つ」と、またここで慣用句を話す。またよく知ってるな、ということもあるけど、そもそもヒムには肉も骨もないわけで、自分ごととしてはこの比喩はしゃべれないよね(笑)。言葉の使い方が相変わらずセンスあるなヒム。
そしてバーンとダイの闘いの場面にまた戻るが、このシーンで、音楽でなぜか男声歌唱が入る。オペラ?みたいな感じ。バーンの不気味さというか底知れなさを感じさせるような描き方だが、いやはやちょっと面白い。
なおこのあたり、パーン戦とミストバーン戦が原作とアニメでは結構描き方のシーンの順番が違っている。原作を見つつアニメを見ていると結構あちこち飛んでわからなくなるが、このあたり個人的には原作を踏まえて再構成してアニメを作っているということもあり、アニメのほうが総じて流れは乗りやすいなとは思う。
そしてAパートがかっこよく終わりBパートに入るが、ここからパーティたちがミストバーンの素顔をどうするか問題で議論をして、時間を使ってしまうシーンである(笑)。
衣を剥がそうとしたヒムを止めるべく、クロコダインが大声を出す。そこでロン・ベルクとの会話を回想するわけだが、原作との差異として、ロン・ベルクが「セーブしたものどうしの闘いだった」というあとでクロコダインが内言で「あれほどの闘いが!」と汗を出しながら語る場面が追加されていた。
あー、これはあれですね。のちの瞳化されるときの戦力外宣告のための布石ですね。などと思ってしまった私。
また「ロン・ベルクどの、ミストバーンは真の力を隠していると」「ああ、なにかある。本気を出せるようなマネはしないほうがいい」と原作にはなかったご丁寧なアドバイスまで追加されていた。
しかしこれダイ好きTVでも語られていたが、「ヒムが衣ということばを使ったから」クロコダインが気づいてよかったけど、ヒムがその言葉を使わなかったらどうなってたんだろう(笑)。
からの、ミストバーンが真の力を出す前に倒せというほうに議論が傾いていく中で、ラーハルトがしれっと言う「魔界の名工〜おまえよりはるかに大魔王やミストバーンの秘密に近い男のはずではないのか」というフレーズがあるが、これははっきりいって論理的にはめちゃくちゃである(笑)。だって、魔界の名工であることと大魔王の秘密ってそんなに関係ないような気がするんだけど…。と思ったが、まあたしかに、後に明らかになるように光魔の杖が若さと肉体を分離した老人形態での護身用として作ってもらったということを考えれば、名探偵ロン・ベルクがあらゆる証拠を集めたらもしかしたらバーンの秘密にたどり着けた可能性はあるのかもしれない、と思うと、結果的にラーハルトの言うことは外れてはなかったか。
しかし、戦闘マシンとしてダイに仕えると言い切ったラーハルトがディベートでパーティ内で意見を通したのはちょっとおもしろい。
ヒュンケルがヒムに「とどめをさしてくれ」と言うシーンで、効果音を含めて丁寧に描かれていた。
そしてヒムが「あばよミストバーンさん、成仏してくんな」というシーン。ここもまた言葉選びが面白いなと改めて思う。
ミストバーンにさんをつけること、そして成仏という概念を持ち出すことで、倒すことへの心の迷いを減じているように見える。
いやはや、言葉を発することによって自らのモチベーションを生み出し、強くなっていくということに関して、実はヒムこそが作中一の才能を持っているんじゃないだろうか。
そして場面はダイvsバーンに再び戻るが、ここでバーンがダイに見せる顔があまりに面白い。18:50くらい。「おもしろいその攻撃見せてみろ」というところ。いやはや、なんだこの顔は(笑)。あなたの顔がおもしろいよ! いや別に、作画的におかしいとかそんなことはまったくないんだけど、老バーンってこんな顔するんだ、という。このテンションの異常な上がりぶりを考えると、ミストバーンがいくら必死で呼びかけても届かないのはやむなしというとろか。
そして、ドルオーラのシーン。バーンは光魔の杖でドルオーラを食い止めながら、よくしゃべる。わりと余裕があるんだろうか。
ドルオーラ連発のところで魔法力をシルバーフェザーで補給するが、これ実際のところドラゴニックオーラはまだ余裕があるけど魔法力のほうが先になくなっているということなんだと思われる。
かつてバランは竜魔人となったあとで、ドルオーラは2発が限界だったと考えると、今回の双竜紋ダイはオーラは補給?もなしに3発撃ってまだ余力があると考えると、オーラの総量は竜魔人バランよりはるかに多いってことになるんだろうか。それともドルオーラも含めて、ドラゴニックオーラの燃費が良くなってる?もしや、過去の「ガス欠問題」の学習の蓄積がようやくここになって生きているのかもしれない(笑)。
【Podcast】 Cast a Radio 「ダイの大冒険」を語る