ダイの大冒険(2020)第88話が放送された。Wドルオーラでバーンを倒したかに見えるダイには一抹の不安が残る一方、ミストバーンが闇の衣を取り去ってポップたちを圧倒する中で、ビーストくんがミストバーンの正体に迫る話を始めるところまでが描かれた。

ドルオーラ連発をなぜバーンが食らう羽目になったのかというところでダイとレオナが話をしているが、ここでダイが持ち出す「強すぎるのもいいことではない」という話が、まさにバーンだけではなくて自分自身のことも指していることに、今回アニメを見ていてようやく気づいた。それを感じさせてくれたのはこのアニメの声優さん、スタッフさんの感情の伝わる作り方のおかげだ。
「バーンを強すぎる」とダイは言うが、そのバーンに一時的にとはいえ勝ってしまっているダイは「さらに強い」ということになる。そして人間たちの心理や尋常でない強さに対する恐れというものを知っているからこそ、たとえバーンに勝っても地上にはいられないかもしれない可能性をすでにダイは感じている。その不安をすぐに気づき、自信を持ってと声をかけるレオナが、いかにダイを大切に思っているのかと改めて気付かされる。

そして場面はかわり、ミストバーンを動けなくできたように見える中で、マァムが言い出す「命をとらんでも」発言。即刻ポップから「甘すぎる」というツッコミが入るが、ここはダイ好きTVで豊永さんと種崎さんも「甘いよね」と言っていていやほんとそうだよね、という話ではあるのだが。ただしかし、この甘さこそがかつてマァムがヒュンケルをアバンの使徒に引き戻すことに成功した優しさと表裏一体でもあるわけで、やはりこれはマァムの個性というべきものなのだろう。だいたい、そういうマァムだからポップはマァムのことを好きなんだし、そこに関しては「お前は何も分かっていない」というふうに言っては関係は成り立たないのだ。これは現実でもそうで、人は誰しも見ているものは違うのだから、たとえ好き合った者どうしでも見ているものは違うし価値判断の基準は異なる。だからこそ、我々は言語化して、対話して、何が見えているのかを言葉にして交わし合うことで他者の視点を知ろうとして、そこから構築していこうとするわけだ。ここはまさに、「力が正義」のバーンの哲学の対極を行くものである。ま、であるとするならその哲学の最高信者であるミストバーンにはやっぱどうやっても「甘さ・優しさ」は通じないわけで、だからここではポップが言うことのほうがただしくて、それをマァムもすぐ分かって、まもなくミストバーンが再起したあとは、それ以上止めるようなことはないわけで、それでいいのである。

というところでのんびりしていたらムックリと起き上がるミストバーン。もはや完全に怪しげな独り言を言っていてヤバさ全開である。BGMも怪しさ・恐ろしさを感じさせるものになっている。しかし「バーン様お許しを」って、ほんとに神に願う信者って感じがするなと改めて思う。バーンとミストバーンは上司と部下ではなく、神と狂信者という関係が妥当なのかな。

そして真ミストバーンが放つ掌圧。ヒュンケルが「これが掌圧」とびびるが、しかしどうでもいいけど、掌圧ということばってダイの大冒険以外では聴いたことがない。ぐぐってみると、指圧の施術の用語の中にあるらしい。いやー、この掌圧という概念の発明もまた、ダイの大冒険というか稲田先生の見事な創作である。

折られたヒムの腕を掴んで殴りかかったラーハルト、原作だとすぐパンチでぶっ飛ばされるのかなと思っていたが、なんとまさかのアイアンクロー!顔面を掴んで持ち上げるプロレスなどで見る大技であるが、ここでまさか真ミストバーンが繰り出してくるとは。ミストはプロレスが好きなのだろうか。
そしてぶん殴られたラーハルトの飛んでくスピードがすごくてちょっと笑ってしまった(笑)。

なお、原作ではこのヒムやラーハルトとミストバーンの交戦のあいだに、ダイにベホマが効かないシーンが挟まれているが、それは今回はアニメではあとにまとめられていた。

ヒムとラーハルトを圧倒してドヤるミストに対して、的確なツッコミを入れたキャラクター、それはチウであった。「バーンはどうなんだ」と。ミストに睨まれたらクロコダインの影に引っ込んでしまうけど。
しかしまあこうやってみんなでミストと戦ったり質疑応答したりでちょっとずつ謎を解いていくわけだが、ミストさんほんまに情報出しすぎやろとは思う。のちに名探偵ビースト、クルツヤのビーストくんにつながっていく。

Bパートになり、ここで回復呪文効かない(というか時間がかかる)が描かれるが、ここの会話がフラグだらけで面白い。ポップたちが力をあわせたらミストバーンには勝てるでしょ→真ミストバーンに圧倒される。回復呪文効かなくてもいそがなくていい→のちに真バーンがそれを見抜いて語る。

なおダイのセリフ、原作では「レオナはいつもキツイなぁ」がアニメでは「はっきり言うなぁ」に変わっていた。まあ確かにキツイというか、はっきり言うというほうがニュアンス的には近いかなとは思う。

そしてミストとポップたちが語る場面に再び戻るわけだが、ここで一同を後ろから描くシーンが入る。ここでのクロコダインがでかい。もちろんこれは彼がほかのキャラクターよりデカイことに加えて遠近法で手前にいるからよりデカくなるわけだが、身体を張ることで最前線に立ってきた彼が、いまここのパーティの後ろのポジションに立つようになった(前線を張るのはヒム、ラーハルトという中途参戦助っ人)というのが、物語の進みを感じる。戦闘力より、どちらかというとその存在感や慧眼、言葉でパーティを支えるようになっていったクロコダイン。戦力外通告が近づいているわけだが、しかしこれは見方によっては、戦力としてはキツくなっていく人が、どのようにチームに貢献していくかという見本のような振る舞いとも言える気もする。

どうでもいいけど、ミストバーンがしゃべるときはミストバーンの口が動いている。ミストがバーンの若い肉体に入り込んで口を動かしているんだと思うわけだが、しかしいままでのあの無限の伸びていた爪、ビュートデストリンガーとかあのへんはバーンの肉体の力なのか?それとも取り付いたミストの技だったのか?そして真ミストバーン状態だったらビュートデストリンガーは使えるのか?このあたりは謎である。

ポップとヒムがメドローアに関して話すところ、原作では吹き出しの形が少し通常の吹き出しとは違っていて、これはおそらくミストバーンには聞こえない程度の小声で2人が会話していた、ということを示していたのかなと思うが、アニメではそのような表現の分け方はできないので(存在するのは内言か外言かという違いの分け方のみ)、普通に会話していた。なんとなく小声であるということが伝わる描き方にはなっていた。
ミストバーンは当然メドローアのことを過去の経緯から知っているので、ポップたちの唯一の逆転の切り札がメドローアだということもこの時点で気づいているのかなとは思うが、しかしぶっちゃけあまり戦闘の運び方が上手いとはいえないミストさんなので、どうなんだろうか。

ヒムを回復させるポップたちに対してミストバーンが「まだやる気満々だな、そのいさぎよさは立派だ」と語るシーン。原作でもアニメでも同じだったが、このシーンでミストバーンの言葉えらび「いさぎよさ」というのが面白い。潔いならば、戦って勝つことが難しい相手だと感じたら、おとなしく殺されるのを待つほうが潔いのではないだろうか。「あきらめの悪い連中だ」というほうが適切なような気がする。なぜミストバーンは潔さという言葉を選んだのか。これは最後まで戦う意志には美学があるから、という彼の価値観なのだろうか?

ヒムがポップに「ホレた女ともども地獄行きだぞ」と語るシーン。ここも原作だと小声風に描かれている。つまりこのセリフは、マァムにも聴かれていない、ポップだけへのセリフと解釈できるだろう。しかし顔を赤くしたポップは「なんで通りすがりのおめえが」と叫んでしまう。これは原作でも吹きだしが通常セリフのようになっていることから、ここはマァムに聴かれている。このような細かい使い分けを改めて気づいた。アニメではポップが大声で叫んでいた。そしてマァムから突っ込まれる。

加えてこのあとでアニオリで「どんな秘策かは知らんが俺も賭けてみよう」というラーハルトとの内言が入る。これはたしかに的確な追加だと思う。ラーハルトは、メドローアを見たことがないのだから。

ミストバーンを抑えようにも、2人がかりでもまったく制圧できない中、ピンクの渦が飛んでくる。こ、これは!そしてクロコダインが描かれて、もうひとつの渦も追加するシーンがしっかり描かれる。これは!いつ以来の獣王激烈掌!ってひょっとしてシグマのシャハルの鏡をふっとばしたとき以来!?あれは49話だったので、なんならもう1年近くも前なのだ。見方を変えるとまた出番があってよかった。しかしミストバーンにはまったく通じない。

そして獣王激烈掌をぶった切る形で遠距離手刀のようなものをクロコダインに浴びせるミストバーン、そしてその衝撃で砕けた壁が飛んできてヒュンケルに当たりそうになる場面なわけだが、原作だともっとたくさんの壊れた壁が飛んでくる感じがあるのだが、アニメだと人間の頭くらいのサイズの岩1個がふっと飛んでくるだけに見えた。で、チウは身を挺してかばうというか、ただ単にそこにいて当たったようにみえなくもない(笑)。

「せめてこの身体が自由に動けば」このシーンはのちのミストの乗っ取りのフラグだと思うと、このあたりの仕込みもほんと上手い。

そしてビーストくん登場!これまでの戦いの中ではほとんど存在感を出していなかったが、マァムとポップの会話から急にあぐら状態から立ち上がり、ポップとマァムに説明をはじめる。てか、こんな状況であぐらをかいて(座禅してた?)平常心を保っていた老師が改めて尋常ではない。しかも「いまのわしはビーストくん」などといって、大ピンチの中でもユーモアを欠かさない。すごすぎるぞ老師。

ミストバーンに向かっていく老師。遠景から描き、身長差やふらふら感を見せることで、圧倒的強者のミストバーンの「強さ」とはどうやらことなる性質の強さを持っている感を出しているのがいい。裸足でペタペタあるく効果音もまた、よい。
「時間稼ぎか?」と言われたところで「凍れる時間の秘法」という真実をブスリと突いてミストバーンを心理的にいきなり圧倒する。そして「何者だ」と言われてからの返答が「ビーストくん」。そこで今回アニメが終わる。
いやいやいやいやいや頭おかしいだろこれ!!!バーンより強いと自称し、実際パーティの誰もがまったく勝てない相手である真ミストバーンに対して、謎解き推理で心理的優位に立ってからの「ビーストくん」という圧倒的にふざけた名乗りっぷり。このシーン、原作ではそこまでだとは思わなかったけど、アニメで描かれると老師のクレイジーぶりがほんとやばい。
てか、この一連の老師がかっこよすぎて、なぜか私はアニメを見ていて涙ぐんでしまった。

マトリフといい、老師といい、極めた老人たちが、メンタルも戦い方も超絶な域にあるのが、このダイの大冒険の魅力だなと改めて気づく。それは「肉体の老い」を力のみの観点から「避けたいもの」と捉えて、若さの肉体を分離して封印をかけようとしたバーンとまったく対極にある生き方だと気づく。
老いたら老いたなりに、ただの力の強弱ではない「熟達」に人はたどり着くことだってできる。そう思うと、涙が出てくるではないか。

次週、老師の闘いぶりがもうめっちゃ見たい!!!


【Podcast】 Cast a Radio 「ダイの大冒険」を語る