ダイの大冒険(2020)第74話が放送された。ハドラーが散り、アバンが生還の秘密を語り、そしてキルバーンとの初対決を終えた。そしてヒュンケルが、アバンを弱いと断定する発言をするところまでが描かれた。

どうでもいいのだが、個人的には先日に旧アニメ時代の劇場版で、偽アバン(正体は幻夢魔道ベルドーサ)をちょうど観たタイミングだったので、アバン復活を信じられないポップというのが、「そりゃー、かつて一度偽アバンを信じてダイを攻撃しそうになったポップは信じられないよな」と思ってちょっと思い出し笑い(?)をしてしまった。

さて今回のエピソードでは、地上の戦いが少しだけ描かれているのだが、そこでアニメオリジナルシーンが挟まれていた。襲いくるモンスターをノーザングランブレードで倒すノヴァが、天を見つめるフローラに話しかけて、そしてフローラが「なにか感じたのです、あそこに」とバーンパレスを見上げて語る。ここはダイ好きTVでも言及されていたが、フローラとアバンの関係の特別さと、だからこそ生じる直感、予感のようなものを描いたシーンである。ある意味ではここは、後にバーンパレスが地上に落下したあとでようやくの再会を果たす2人にとっての最初の予兆であるともいえよう。

そしてアニメオリジナルは続く。涙と鼻水ぐしゃぐしゃにアバンに抱きつくポップのところ。「せんせぇ〜」と泣きつくポップがいて、そしてここでアバンが「だ〜、私の一張羅が」と言って、そしてポップが「そんなこと言ったってよう」と返す。再会の喜びで涙と鼻水の止まらないポップを印象づけるとともに、冗談を言うアバンの軽妙さを描き、視聴者に「アバンが帰ってきた」ことをより伝えてくれるシーンとなっている。ただこのあとで「今はひっつきてえんだよう」とまで甘えるポップは、いくらなんでも甘えすぎではないかとも思うのだが(笑)まあでも、それくらいポップにとってアバンというのは重要な存在だということはいくら伝えてもよいとも言える。私のように原作を数十回読んだ人間ではなく、初めて今回ダイの大冒険という作品に接する人にとっては、正直なところそこまでアバンが影響力があるというのは感じにくいのではないかとも思う。そういう意味では、あの逃げ腰だったポップがシグマを独力で撃破し、ハドラーに手を差し伸べるほどの圧倒的な戦闘力、精神面での成長を遂げながらも、師アバンに再会したときには子どものように泣きついてしまうというのは、そのギャップを描くことによって視聴者にアバンとポップの関係の深さを印象づけることになるからだ。

さらにアニオリは続く。「遠くからでもあなたの魔力を感じました。とんでもないパワーでしたね」と、アバンがポップに褒め言葉を伝え、それを聞いてポップは涙まじりに「おれだって成長したんだぜ」と胸を張る。続いてマァムは「先生」と言い、アバンがそれに「その姿、まさかマァムが武道家になっているなんてびっくりです」と返す。そしてダイに向けては、「ダイ、君も本当に立派な勇者になりましたね」と語るシーンが入る。そこから先は原作のセリフの「みんな見違えるようになりましたね」と続いていくのだが。
この、3人の弟子たちに個別に成長を褒めるシーンもまた、上述のように、アバンという人の重要性と、弟子との関係性の強調という観点からは、アニメだからこそ入れてよかったシーンだと思う。そしてこれはまた、アバンのかつての仲間たちとの関係性とも連続したセリフであることにも気づく。アバンがポップに感じる頼もしさは、それはもちろんかつてマトリフに感じたものである。原作でも後に、戦いの中でアバンがポップから、マトリフ同様の存在感を感じ取るシーンが出てくるが、そこを少し前取りしてここではアバンはマトリフのような信頼感をポップに見出しているといえるだろう。また、マァムに対しての「武道家」というのはもちろんこれはブロキーナを彷彿としているということである。実際ブロキーナは最終決戦にこのあと参加してくる点がマトリフとはちょっと違いはあるが。そしてもちろん、マァムに対しては、かつての盟友、ロカとレイラと共に戦ったときの感覚も抱いていることだろう。そして、ダイである。ここで重要なことはアバンが「ダイ」と呼び捨てていることだ。かつてデルムリン島でハドラーからダイたちを守ったときには、基本的には「ダイ君」と君付けで呼んでいたはずだ。作中では数ヶ月の時間が空き、「先生」ではなくて「同志」として合流したアバンにとっては、ほかの仲間たちと同じく、ダイはもう「ダイ」になった。そう捉えることができる。これはある意味では、竜騎将バランが、自分のつけた名前ディーノではなく、ダイと呼ぶようになっていったことと対比できる意味でも興味深い。

そして、ヒュンケルの泣き顔。ここに関しては、ダイ好きTVのMC、声優の前野さんのコメントがすごすぎるのでそれを引用しておきたい。「原作では左側からの角度で泣き顔が描かれていたが、アニメでは右側からだった。こっちから描いてくれてありがとう」(元発言そのままではなくて、趣旨を書いている)。いやもうほんと、前野さんがすごいわ(笑)。
またここでは、ヒュンケルの回想シーンが入る。ブラッディースクライドでアバン抹殺しようとしたとき、初対面のダイたちに刃を向けたとき。いわばヒュンケルの悔いるべき過去の回想である。ここで「オレにはあなたに許される資格がない」という内言がアニオリで入る。そして、ヒュンケルの泣き顔を見るために近寄ろうとするポップをアバンが肩に手をおいて止めるシーンがあるが、ここでも「いまはそっとしておきましょう」というオリジナルセリフがはいる。さらに、マァムとアバンのやりとりも追加されている。これも上述のように、アバンと弟子たちの関係性に立体感をもたせるための補助的なシーンの追加だと感じられた。
今回のエピソードの最後で、ヒュンケルが反逆(?)をするところがあるが、これは原作読者はよく知っているとおりで、敵軍の後ろからの追撃を単独で食い止めるための演技である。今回上に書いた「許される資格はない」というシーンが追加されることで、そのヒュンケルの動機がよりわかりやすくなったようにも見える。もともと、エイミとの海辺の例のシーンで語っていたように、師と弟弟子たちに剣を向けてしまった悔いに日々苛まれ、それを埋めるかのように戦いに没頭しているというのがヒュンケルであるが、今回アバンに再会したことで、ついにそのアバンに対しての重荷も解くことができるチャンスを得たとも言えるわけである。しかし、彼の意志は変わらず、「許される資格はない」というものなのだ。これが、単独で無茶な戦いを続ける(しかし作戦上はとても意味がある)ヒュンケルの動機として強固さを感じさせるとともに、後に復活したヒム、そしてラーハルトという新たな戦士にその役割を移譲していく伏線であることも、改めて感じる。

さて、レオナがアバン復活の謎を訊くシーン。ここにも回想が追加され、久々にアバンのハドラー脳ズボのメガンテを見た。ハドラーが前回のエピソードできれいに去っていったと思いきや、このカッコ悪い時代のハドラーがいきなり戻ってきてちょっと笑ってしまった。
そしてアバンが「死んではいなかった」と真実を語り始める瞬間のポップのギャグ顔は、原作よろしく健在であった。やっぱりいくら強くなっても、ポップというのは、少なくともアバンとの関係性ではリアクション芸人的なところがあるし、しかしであるがゆえに、後にアバンから「私以上の切れ者がいる」と評されるときまでに、ここからさらに成長を遂げていくことを感じさせる下準備になっているとも言えるだろう。

どうでもいいのだが、Aパートしめのアイキャッチのところがまさかのドラゴラム。まぁたしかに作中アバンしか使っていないので、アバンらしいっちゃらしいけど(笑)。

そしてBパートでは、これもダイ好きTVで前野さんが説明していたが、アバンの「死んでません」の天丼3連発。これもアニオリである、というよりこれはアニメだからこそ成立する表現である。
ここで回想的にフローラがアバンにカールの守りを授けるシーンが入るが、ここは回想ではなく新規シーンのような気がする。また、アバンがメガンテを唱えてから洋上を漂うシーンについては、ここは原作の順番でいうと少し先のシーンを入れてきている。このあたりも、視聴者にスムーズに感じられるように演出上の配慮を入れていることが改めて感じ取れる。

しかし、どういう原理でカールの守りってのはメガンテのときに身代わりになるんだろうか。メガンテは全身の生命エネルギーを指先から放って自爆するわけだが、なぜ守りが砕けることで、その自爆による死を止めているのか?考えられるとするなら、エネルギーの最後の一絞りを身体からではなく、カールの守りのほうが供給してくれるから、とかであろうか。
あとこれはツイッターで誰かが考察していて、なるほどと思ったのだが、フローラが守りを授けてから、かつての魔王ハドラーとの戦いのなかでは一度もこれが発動しなかったということは、そこまで致命的なピンチになることがなかったということなのか。あるいは、メガンテ以外ではこの守りは効力が発動しないのか。であるとするなら、フローラはいつかアバンがメガンテを使うことをどこかで予期していたのか、そもそもカールの守りの効力を知らなかったのか。このあたり、わからないところではある。

さて、ポップがマァムの肩にしっかり腰掛けているシーン。ほんとに調子いいなーという一方で、これもまた旧劇場版の3作目、ポップが1人だけ荷車の上に載っているシーンを思い出してしまった。まぁこれもほんとたまたまなんだけど(笑)。

キルバーンが死神の笛でアバンの首を撥ねようとするシーン。なぜ、キルバーンの身体は動かないのか?いやもちろん、ゴールドフェザーを刺しているからなんだけど、最後に明らかになるとおり、キルバーンは人形である。生命体ならともかく、人形に対してゴールドフェザーは効くのだろうか?まぁこれが効かないと、ここでアバンが首を撥ねられて死んでしまうわけだから、効いてもらわないと展開上は困るんだが(笑)。

そしてここでアバンがキルバーンに言う「残酷にも劣る残忍」というセリフ。これは原作ママだが、ためしに辞書で残酷と残忍の意味を調べてみた。

1「残酷」「残虐」は、人や動物に対する扱いがむごたらしくて、思いやりがないさまをいう。
2「残忍」は、むごい仕打ちを平気でするさまをいう。

https://dictionary.goo.ne.jp/thsrs/2795/meaning/m0u/

うーん、あんまり違いがないような気がするぞ。ただアバンの中では、残酷は、暴力や破壊行為をするものの、ある程度は正面切って襲ってくるヤツに使うようであり、残忍は、罠でハメ殺すヤツに使っているということらしい。

アバンが斬撃でキルバーンの仮面を割った後、ちょろっと見えるキルバーンの顔。ここが、名探偵コナンのアニメでよく描かれる、顔のわからない状態の犯人の顔に見える(笑)。そして最大の謎は、このときにはすでに黒の核晶が埋まっているのかどうか、ということである。おそらく後のピロロの会話から察するに、最初からずっと埋まっているんだとは思うけど、しかしこんときにアバンの斬撃が黒の核晶を直撃していたら何が起きていのか。バーンパレス内部の黒の核晶も全部誘爆して、バーンパレスと中にいる人達全員が灰になっていたのだろうか。

このあと、リリルーラでおいついたアバンが「抜き足、差し足、アバン足」という説明をする。これもまたアニオリだ。今回はいろいろとアニオリたっぷりであるが、さてこの言葉のもともとの言葉は「抜き足差し足忍び足」である。忍び足ということは、忍者のような歩きとなるのかもしれないが、しかしアバン流でそんな潜入術ないし暗殺術のような技を使って良いのか?まぁ別にここはギャグだからいいんだけど(笑)。

【Podcast】 Cast a Radio 「ダイの大冒険」を語る