ダイの大冒険(2020)第75話「破邪の秘法」が放送された。ヒュンケルがひとりで後続からの敵を倒しに向かい、キルバーンは仮面を付け替えた。そして、バーンパレスの扉を開くべく、アバンが極大化したアバカムを放った。

冒頭では、「あんたは弱い、弱すぎる」を前週に引き続きヒュンケルがかぶせるところから始まった。アバンの力が足りないと言い切るヒュンケルに対してポップが「通じるに決まってるじゃねぇか」と返すのはアニメオリジナル演出だった。

このあと、ヒュンケルの目を見てアバンがその真意を悟り、先に向かおうとするシーン。ここのセリフは「私はヒュンケルの意志を尊重してあげたい」というものだが、これも真意を悟った上で語っているのだと考えると興味深い。アバンはダイたちに向けて演技をしているとも言えるし、一方でヒュンケルに対して独力での後続モンスターとのバトルを任せる意志を尊重している、とも取れる。

さて、このヒュンケル反逆(の演技)シーンであるが、ここはアバンとヒュンケルという師弟間の「語らずともわかる意思疎通」を描いているシーンであるともいえるが、メタ的な観点からすると「再登場したアバンをリーダーとすることを弟子が否定する」ことを見せているとも言える。
これはどういうことかというと、たとえば同じく少年ジャンプに連載されていたドラゴンボールにおいて、セル編までの主人公は孫悟空であったが、最後にセルを撃破するのは息子、孫悟飯であった。ここで主人公が世代交代するのだろうと思わせておいて、さて最後にブウ編でブウを撃破したのはやっぱり孫悟空だった。見方によってはドラゴンボールは主人公が世代交代しそうでできなかった作品といえる。

一方、ダイの大冒険は、もちろんタイトルがダイの大冒険である以上、主人公がダイであることは1mmもブレていないのだが、一方でこのタイミングでアバンの使徒たちの精神的支柱であるアバン(正確には死んだと思われていたことによって精神的支柱になっていた)が戻ってくると、文字通り「リーダー」になってしまう可能性もあったのではないかと思うのだ。しかしそうなっては、ダイや仲間たちの物語としてのダイの大冒険はブレてしまう。
そこで、今回のヒュンケルの「反逆」だ。もちろんこれは基本的にはヒュンケルの芝居ではあったものの、ヒュンケル自身がアバンに宿る新しい力を見抜き、目的(大魔王バーン打倒)の最善配置として、自分がここで後続を断つことにして、アバンには道を開かせる配置につけた、ということである。つまり、ここの配置を決めたのは、復活したアバンではなくて、成長した弟子ヒュンケルなのである。すなわち、「アバンにリーダー面されてはたまらん」というところからは、それ自体は芝居ではありつつも、「アバンになんでも教えてもらう上下関係の師弟ではなく、目的達成のためのヨコ関係、自発意志の集団」にこのパーティーがなっているのだということを読者/視聴者に印象づけるという意味で、実はかなり重要なシーンであるといえるだろう。上下関係のある指導者-弟子ではなく、自発的なリーダーシップに基づき、誰しもがリーダーとフォロワーにときに応じてなれる組織。そりゃこういう組織は強い。現実でもね。

そしてこのあと、バーンがミストバーンに「早く戻ってこい」という趣旨を伝えるところが入る。これは原作ではもう少し後に描かれるシーンだったが、アニメではタイミングが早まっている。そして多くの原作読者が気づいたとおり、ここで「たわけ」というバーンは、なぜかワインボトルを割っている(笑)。原作では、冷たく言葉だけで「たわけ」と言うだけだったが、なぜかアニメのバーンはキレ気味なところが出てしまっているのが面白い。まあ直接ビンを割ったというよりは、なぜか割れた、というかんじには見えるが。
しかしこれ、誰がこのこぼしちゃったワインと割れたビンを片付けるのかなぁ…。

さて、このあとでアバンが、ヒュンケルの芝居の種明かしをするところでは、原作だと走ったままに見えたが、アニメでは止まっていた。そして、空中というか、城のなかから押し寄せるモンスターたちの登場の音が、ガンダムのモビルスーツが撃つビームライフルの音みたいに聴こえたのは私だけだろうか。
で、皆さんお気づきのとおり、ヒュンケルのピースサインは、サムズアップに変更されていた。これは本作の内藤プロデューサーのツイートによると、裏ピースは国によっては悪い意味に受け取られてしまうからだそうだ。

https://twitter.com/minerogenesis/status/1520270914847653889

このあたり、世界中でアニメが視聴される時代の作品づくりだなぁというのを改めて感じる。

ヒュンケルに襲いかかるモンスターたち。こいつらが魔界のモンスターというのをなんでヒュンケルは知っていたのだろうか。まあ魔王軍の中にいた彼なので、魔界のモンスターがなんなのかを知っていてもおかしくはないが。
原作では「一度に襲いかかるなら最低10人ぐらいにしたほうがいいぞ」と言っているが、今回アニメではこのセリフはカットされていたように思われる。

ところで、このシーンに登場するモンスターたちは、DQ4-5の天空編のモンスターたちだと思われるが、ゲームの中ではかなり強い部類の敵だと言えるだろう。ラストダンジョンあたりで出る、いわば到達レベルが30後半から40くらいとか、そのくらいのときに出会う敵だ。しかし、ヒュンケルはたった1人でその敵を瞬殺してしまう。ゲームにおいては、もちろんボス戦は大変だが、結構道中の通常モンスターにも苦労することがおおいのがドラクエというゲームではないかと思うが(少なくともSFCまでくらいは)、ダイの大冒険の描かれ方としては、ボスキャラと雑魚モンスターにはすさまじい大きな戦闘力の壁があるようだ。魔界のモンスターとはいっても、魔族や人間のトップ層には全然及ばないみたいである。

このあとバーンパレスへの巨大な門扉が登場するわけだが、ふと思ったのは、そもそもこの扉を開かないと中に入れないのだろうか?ちょっと横のあたりをメドローアでぶち抜いて入ることができるんじゃないか、いやなんならこの門扉だってメドローアでぶち抜けるんじゃないかと思うのだが…。それが通じない設定でもあるんだろうか。いやまあ、実際この場面でのポップは魔力も体力もなくてメドローアの撃てる状況ではないとは思うが、もし体力魔力満タンなら、そういう手で通ることもできるのかなぁと思うのだ。

アバンが、破邪の洞窟への挑戦について語るシーン。原作では「3ヶ月あまり」と明確な期間が語られるが、アニメでは「数ヶ月」ということでややぼかした言い方になっていた。まあこのあたりは、漫画と違ってアニメであれば、あまりそこの整合性をこだわるより、さらっと違和感なく受け取れる数字の出し方にしておくほうが、視聴者にとっては良いのかもしれない。
アバンの回想では、ギガンテスを倒していた。

このあと、アバンがノリで武勇伝を語ろうとして我に返るシーンは、原作では破邪の秘法アバカムを放つ直前に挟まれているが、アニメでは少し順番を変えて、やや早い段階ででてきた。そのあとでレオナにミナカトールのことを訊く形になっていた。そして、「ざっと6倍」のポップのボケがこのあとに入る。このあたりは演出として、スムーズさを優先した結果話の順序が変わったのだろうか。

原作ではダイが「五芒星だ!」と言っているが、これは今回のアニメだとそもそも五芒星という表現はなくなり、サクラの花のような紋様になっているので、そのセリフもなくなっていた。

そして極大化アバカムが扉を開いた後、原作では無言だったヒュンケルが、アニメでは「さすが我が師アバン」とそっとつぶやくシーンが加えられている。アバンの破邪の力を誰よりも先に見抜き、先陣を切らせたヒュンケルとの関係が、改めてここでは伺える。

しかし改めてふと思うが、トラマナとかアバカムとかの移動補助系呪文というのは、それこそダイ好きTV モンスター座談会SPでも語られていたが、あまりゲームのドラゴンクエストでは印象の強い呪文ではない。特に近年のゲームでは、ほぼ存在が薄い、あるいは消えていたりもする。したがって、今回のアニメがダイの大冒険のファーストコンタクトの視聴者にとっては、そもそもなんなんだこれ、という印象すらあっておかしくはないだろう。やはりこれは「ゲームだとさして使い所のなかった補助呪文」が極大化によってバーンやキルバーンのしかけてくる罠や障壁を突破してしまえる、という、ドラクエ世界の知識を前提にしたハイコンテクストな楽しみ方になっているように思える。
そういう意味では、かつて存在した「ドラクエ4コママンガ劇場」のように、作品世界をベースに、さまざまな呪文や武器やキャラを使ってギャグエピソードをたくさん描くような作品というのも、その作品世界をゲームをそこまでやっていない人でも理解できる下地づくりに貢献していたのではないかと思う。というかまさに、私自身がそういう人だった。あまりゲームはやっていなかったが、4コママンガ劇場で、いろな呪文やキャラのことを知ったものだった。
いまだと、そういう立ち位置にあたるコンテンツはあるのだろうか?ダイの大冒険と合わせて、そういうサブコンテンツからドラクエの楽しみ方が広がるのもおもしろいだろうなとふと思う。
今週のダイ好きTVのモンスター座談会はまさにそういう意味では、ダイの大冒険の世界がドラクエをベースにしていることを改めて感じさせる秀逸な企画だったので、まだ見ていない方は見れるうちに是非見ていただけたらと思う。

https://www.youtube.com/watch?v=zREeVyYrT10



【Podcast】 Cast a Radio 「ダイの大冒険」を語る