ダイの大冒険(2020)第54話が放送された。ハドラーvs竜の親子のバトルがはじまるも、黒の核晶に気付いてしまい攻め手に欠くバランとダイ。しかしバランがハドラーに勝負を挑む。だが必殺のはずの一撃はハドラーの首を落とせず、ピンチに至るバランをダイが庇うも重症を負う。そしてバランはダイを眠らせ、竜魔人と化してハドラーに猛攻をしかける。というところまでが描かれた。

今回は、ダイ、バラン、ハドラー、あとはキルバーン、ミストバーン、バーン、という少ない登場人物たちだけで構成されていた。アニメのダイの大冒険としてはかなり珍しい。ダイ好きTVでもポップ役の豊永さんがひたすら1視聴者だったと述べていた。

さて冒頭、ハドラーが、攻めて来ないダイたちを「師を倒された怨みを晴らしたくはないのか」と煽るシーンがある。しかしこのときのダイは、もちろん黒の核晶に気づいているからというのはあるものの、その挑発言葉にはまったく乗らない。これは都度にキルバーンや親衛騎団の挑発に乗りがちなポップとは大きな性格的違いといえよう。もちろんダイ自身はハドラー打倒が必要だと考えているが、徹底的にそれは地上から魔王軍を去らせるという自分の役割に基づいての思考であるというように読み取れる。物語序盤にアバンをメガンテで失った時のダイは、たしかにアバンの心情と勇気に感化されての感情の爆発でハドラーに立ち向かっていったわけだが、そこからわずか数ヶ月でダイは私怨ではなく勇者の役割に準じる勇者となってしまった。こういった思考と行動をとる少年バトル漫画の主人公は結構レアではないか。それこそダイの大冒険で好きなキャラは誰かと聞くと大半の人がポップだと答えるのは、その感情の揺れ動くリアリティと、最初弱くて逃げ腰だった少年の心身の成長というのが顕著で、とみに少年漫画の王道的だからであると思われる。それに対して作品名でもある主人公ダイは、この中盤の時点で驚くほどの「役割の受け入れ方」をしており、ここからさらにある意味ではその達観ぶりは加速していくことになる。
もちろん、このバランというかつて反目した父親を「父親」だと受け入れるとともに、同時に死によって別れを経験するというのは極めて大きな試練であり、感情的な揺れではある。それでもなお、というよりだからこそなのかもしれないが、彼はますます勇者の役割を果たすことに自己の存在意義を見出していくように感じられる。
この達観のプロセスは、いま思うととても痛々しい物語であるし、しかし私自身がいいおっさんになったからこそ、想像のつく葛藤がそこにはあるような気がしている。
一方バランのことを考えてみよう。バラン自身は自らの戦いの理由を基本的には「天命」にゆだねてきた。自分は生まれついての竜の騎士だから、世界のバランスを崩す者と戦う。しかしそれは自分自身の内なる戦いの動機を見つめることを放棄してきたとも同時に言える。だからこそ、どう考えてもバランス破壊者である大魔王バーンの進軍に味方することを選べてしまった。だが、ダイとの戦いを経て、そしてキルバーンによる暗殺未遂のなかでバーンの真意を知った結果、はじめてバランは自分の内なる理由、すなわち自分の息子と、息子の生きる世界を守るために戦うという理由を見つけたのだった。
そういう意味では、たしかに物語の中ではバランの死には悲劇性があるものの、バラン自身はようやく生きがいと死に場所を見つけることができたと言うこともできるわけである。これをダイとの対比で考えてみると、なるほど、もちろん父子という関係は特殊ではあるものの、クロコダイン、ヒュンケル、バラン、そしてハドラー、とこの4人はダイとの戦いを経て、生きる理由と死ぬ理由を見出すことができたという意味で共通項がある。ダイはそういう意味では戦う相手の人生を救ってきた。だが、彼は彼自身を救えないままに物語は終わってしまうんだよな…。

って、とてつもなく冒頭が長くなってしまった。

バランがダイに、ハドラーの爆発を食い止めると言い切るところ。「私の剣の腕をもってしか」と言い切るバランだが、そんなにバランが剣が上手かったのかは個人的に疑問はある。たしかホルキンスの弟の見立てでは、剣の腕ではホルキンスと互角程度だったはず。ホルキンスは人間最強クラスの可能性もなくはないが、アバンやヒュンケルなどのアバン関係者の人間たちが強すぎるので、正直そこまで強くはないと思うのが妥当ではないだろうか。ということはすなわち、バランの剣の腕ってそんなすごいのか?という話になるわけだ。

あとはダイに初めて炸裂させたギガブレイク、そしてヒュンケルを戦闘不能にした一撃。作中ではひどいダメージだということになっていたが、服や鎧が普通に形を留めていたことはだいぶ疑問である。ドラゴニックオーラを込めた剣撃であの程度となると、純粋な剣の腕ってなるとだいぶしょぼい可能性すらあるではないか。

ということで、バランの剣の腕は実は大したことがないとすると、いやむしろそれこそバランのダイに対する愛情がわかるのだ。
物語として、最終的にバランは死ぬが、仮に首尾よくハドラーの首を刎ねていたところでやっぱり黒の核晶を抑えるためにドラゴニックオーラを使い果たして死んでいた可能性が高そうだ。なので死ぬのはわかっていたからこそ、ダイに「なんとかなる」と信じさせてその場を離れさせようとしたということになる。
自分が強いかどうかというのはどうでもよく、あくまで息子を救えるかどうかだけがこの時のバランの意思決定基準であった。

このあとバランを庇い深手を負ったダイが、紋章の力でハドラーの呪文を防ぐところ。なんたる無茶を、とバランは言うが、いやバランがダイたちと戦った時のダイの仲間たちの方がよっぽと無茶なことしてましたけど、と思ったりした。ギガブレイク二発食らってたクロコダインは言うに及ばず、ヒュンケルもポップもまあひどいものだった。まあそれをやったのはバランなんだけど。それに比べるとこのときのダイはヘルズクローをまともに食らってはいるが多少は回復呪文も受けてるし、そもそも彼は竜の騎士だから防御力も回復力も高いのだ。
ということでここもまあ、息子を大事に思うバランの親バカぶり(?)が発揮されたと思ってあたたかく見守りたい。

このあとの、ラリホーマで眠らされるダイからのバランの回想シーン。ここは泣けた。原作漫画を読んでいて泣いた覚えはまったくなかったのだが、いやぁこのアニメシーンは泣かしに来たなぁ、と思った。
たぶんこれは、今回アニメを見るにあたってはダイ好きTVやいろんなコンテンツで声優さんたちの思いを聞いてきてるからというのもあるかもしれない。


【Podcast】 Cast a Radio 「ダイの大冒険」を語る