ダイの大冒険(2020)第97話が放送された。タイトル「神の涙」。瞳の宝玉が動き出し、それをゴメちゃんの力だと見抜いたバーンが、あわせてゴメちゃんの正体を神の涙だと見抜き、握りつぶしてしまう&ダイとゴメちゃんのお別れまでが描かれた。

冒頭にポップとダイがバーンに組み付くところでバーンが「なんの真似だぁ」と言ってポップをぶん殴る。が、ふっとばされても一瞬で立ち上がって再びバーンに飛びつくポップ。こんどはキックを食らうが、今度はさすがにすぐは行かない。
このあたり、原作では無言のカットの連続だったが、アニメでは上述のオリジナルセリフなども追加されていた。
しかし、地上最強の鉄拳を持つバーンのパンチでぶん殴られてもすぐ立ち上がれるポップの耐久力はいったいどういうことなのか!?これこそヒュンケルやクロコダインも真っ青である。考えられる可能性としては、すぐに回復呪文をかけた(シグマ戦みたいな感じ)または、老師よろしくなんらかパンチ力を受け流す謎の奥義でも習得したのだろうか。

バーンが「まるで亡者の群れのように」というところ。そもそもゾンビのように例えられる主人公とはいったい(笑)。しかし、その言葉を選ぶからこそ、そして子安さんの演技も含めてバーンのビビりっぷりが伝わってきていいなぁと思う。
この時点では、もはや主人公たちは「磨き上げた技で悪を打ち破る」ではなくて「執念によって地上破壊を食い止めるために動く」ことに全力を投じている存在なのだ。それは怖かろう。

バーンが「おぞましい」といってダイをぶん投げるところ。よく見ると見事にポップのナイスキャッチというか、いやそもそもポップのいる方向に狙って投げたようにすら見える。そのへんにぶん投げればいいものを、なんでわざわざポップのほうに投げちゃうか大魔王。これはこのあとのカイザーフェニックスでまとめて焼き尽くそうというために場所をまとめたってことなんだろうか。

そして「順番通りじゃねぇか」からのバーンのカイザーフェニックスのポップのカイザーフェニックス無力化。原作でもここのシーンが大好きだし、みんな人生で一度はこの真似をしたんじゃないかと思うが、同時に思い続けてきたことは「これの無力化原理はなんなのか」である。メドローアの魔力を指先に集めた説、ヒャド系魔法力で相殺した説など諸説あったが、今回アニメによってひとつの公式(?)の答えが描かれたのが興味深かった。
ポップは両手の指先に集めたなんらかの力をフェニックスの喉の位置に突っ込むと、そこで魔術的な?手の動かし方をして、そこからフェニックスをかっさばいたのだ。

この記事 ではバギ系の魔法力で風で吹き飛ばしたと説を述べている。が、もちろんこの記事は公式ではないので、果たしてそうなのだろうかというと私はそんなに納得はしていない(笑)。いやたしかに大魔道士として覚醒したポップであれば、以前からマトリフにバギ系も契約させられていたのだとするのならバギ系ができたっておかしくはないのだけれど。でも、ポップ自身がバギを使ったことはいままでないわけで、さすがに初めて使う魔法力のタイプで、それで大魔王の必殺を分解というのはいくらポップが天才だとしても無理があるんじゃないかと思うのだ。
メドローアがなぜポップの代名詞なのかといえば、命をかけてマトリフから伝授されて、自らの血肉とするまで実戦を通じて磨き上げてきたからではないか。
かように考えてこのシーンを見ると、たしかに緑の光はまとっているが、それだけでバギ系と結論づけるのもなんかもったいない気がしているのだ。
ということで私の説としては「魔法によって高熱を遮ることのできる状態(フバーハ的なもの)を指に作り、それによってフェニックスの急所から分解した」をとなえたい。
かつてアポロがフィンガーフレアボムズに対してフバーハが通じずに破られてしまったことがあったが、あれはアポロの魔法力が低いと言うよりはフバーハが広い面積を守ろうとしている呪文だから、個別のメラゾーマに対する十分な魔法防御が発揮できなかったのでは?と思っているのだ。
今回のポップは、指先というポイントだけに魔法力を集中しているために、いわばハンターハンターでいうところの凝(違ったっけ)みたいな状態で一点を強くしており、それで受け止めてフェニックスの構造を見破って左右にかっさばいたというふうに捉えるなら、それこそ前までの天地魔闘の構え破りで魔法力を消耗したポップができてもなるほどそこまでおかしくはないんじゃないかと思う。いや天才だけど。

そしてダイがバーンに飛びかかるところで、原作と違って剣の宝玉が光を放って意思を見せるかのような描き方だったのが興味深かった。
そのあと、ダイが内言的に語りながらバーンと肉弾戦を繰り広げるところで、思っている以上にいい勝負のインファイトだなぁと今回気づいた。原作のときは結構勝ち目がないインファイトなのかと思っていたのだが。これはアニメの力かもしれない。しかし実際、バーンの右パンチ(繰り返しになるが地上最強のパンチである)を、ケガしていたはずのダイが右腕で結構平然と受け止めたあたり、あれ意外とこの時点の肉弾戦でもまあまあ戦えている…ということに驚いた。
それほどまでに、ダイの剣が左心臓を貫いて、これまでのライデイン連発でダメージを受けていて、なによりバーンのメンタルがおぞましい人間の謎の執念に気圧されていてちょっとパワーが落ちているのかもしれない。

バーンの「たわけが!」のところ、なんとラリアットだったのか。パンチだと思っていた。アニメで見てようやく気づいたラリアット。

バーンが怒って「眼下の柱に魔法力をぶつけてなぁ!」という所。これ、眼下の柱というのはロン・ベルクとノヴァが凍らせたものを言っているのだろうか。だとすると、さっきノヴァが凍結させたはずなのだが、その状態であっても魔力をぶつけたら爆発させられるのだろうか。だとするとノヴァのやったことの意味は?となってしまう。そうではなくて、世界中に散らばっている柱のすべてを「眼下の」と言っているのであろうか。であるならば、なるほどまだ凍っていない、動きの止まっていない爆弾のどれか1つでも爆発させられるなら全部誘爆するから、話しは通じるのだが。

そしてレオナの願いに呼応するように動き出した瞳。ここの一発目が特にバーンに結構効いていたような気がする。さして質量もないであろう瞳の動きがバーンほどの強者にそんなダメージになるとは思えないので、物理的ダメージと言うよりはやはり恐怖というか精神的ダメージが大きいのだろうか。

バーンの瞳光線の逆版(?)によって瞳から出られたレオナ。地面に落下するときに「いったぁ〜」なるオリジナルセリフが入っていた。まあたしかに、それくらいのところから落ちたら多少は痛いよね(笑)。

レオナの胸からゴメちゃんを奪い取ったシーンの原作との相違については皆さん散々思ったと思うので省略する(笑)。

そのあと、掌においたゴメちゃんの縮尺が漫画よりもさらに小さく見えた。やはりこれはアニメのバーンが原作よりデカい、いわゆるデカバーン(いわゆるってなんだ)だからなのだろうかと思う。

このあと、しゃべるバーンが手でゴメちゃんを放り投げるところが、ダイ好きTVでも豊永さんと種崎さんが「もてあそびやがって」的なことを言っていて、たしかに見返したらアニメでは雑に空中に投げていた。うーん、こういう無意識の動作でダイの怒りを買っていたのかもしれないなバーン。

これまでのゴメちゃんが叶えてくれた願いについて原作では各人が内言的に、外言的に語るところがあるが、今回はアニメではそのあたりはテンポ重視というかややあっさりとする形になっていた。

そしてバーンがゴメちゃんを握りつぶすところ、緊張感をあおるような音楽がかかり、そしてホタルが舞うかのように黄金の光の粒が空中を舞っていた。そしてダイの掌にのった1粒が光を放つ。
と、ここでAパートが終わったわけだが、視聴者みんな思ったことであろう。ここのアイキャッチ、まさかの「神の涙」これはいやはや一本取られました。技じゃねぇ!神の涙って!アイテム!

からのBパート、意識の世界でついにしゃべりだすゴメちゃん。正確にはポップが雲の上から戻ってきたとき以来だが。
この2人の会話、最後のラストバトルそして世界破滅まであと数分という状況下のなかで、驚くほどの切り離されぶり。まさに意識世界での2人の物語が極限のやさしさ、あたたかさで描かれる。

デルムリン島に話が及ぶ時、ダイの記憶の中で、「人間もいいやつばかりではない」という話の例に、バロンとテムジン、そして偽勇者一行が描かれるところが、これが改めてとてつもない上手さである。原作ではここは偽勇者一行だけなのだが、アニメではバロンとテムジンが入っている。たしかに、ダイの大冒険の始まりで出てくるダイの敵というのは、なんと悪い人間が2連発だったのだ。そのあとで魔王軍が出てくるのが話のメインだから、勇者ダイが人間たちのために魔王軍と戦う物語、というまとめられ方をされがちなのだが、とんでもない、はじまりは心の汚いというか、カネや権力にまみれた人間を打破してモンスターや姫を守るためにダイは戦っていたのだ。
ただもちろん、このあとで偽勇者一行は世界破滅を食い止める最後のピースとして登場してくるということを考えると、たしかに心の悪い人間はいるが、それは人間すべてを絶望することにつながるわけでもなければ、状況次第で人は変われるのだという証左でもある。それはアイデンティティに悩み、人間に怒りの刃をぶつけてしまった父バランという存在の命も受け継いで生きるダイにとって、救いと言うか福音というかであったことは想像がつく。

しかし、ここで語っていくゴメちゃんの語りの心地よさ、声優の降旗さんの好演が本当にぐっと来る。なんかもう、このゴメちゃんの声を無限に聞いていたい。
ダイ好きTVで、種崎さんが、降旗さんと2人で収録できてよかったということを話していたが、いやはや、我々もそこから生まれたこの伝説的ともいえようダイとゴメちゃんの最初で最後の会話を聴くことができて幸せだ。

願いに話が及び、涙を流すダイ。このときのダイの表情は、とてつもなく幼い。いや幼いというより、純真と優しさの極限なるかもしれない。このあと、殺気をたぎらせてバーンを圧倒する竜魔人ダイになるということを考えると、このときの意識世界でゴメちゃんに語るダイは、本当に自分がそうあっていたいと思えるダイの姿なのかもしれない。
ダイはずっとデルムリン島でゴメちゃんやモンスターたちと平和に暮らしていれば、ダイらしく生き続けることができたのかもしれない。しかし、邪悪な人間が物語を動かし、そこからやってくる魔王軍との闘いの中で、ダイは後戻りできない成長の旅を始めた。それはダイにとって苛酷なものだった。同時に、人間やそのほかの心通じる生命達との出会いの旅でもあった。

去っていくゴメちゃんに「ゴメちゃん、ゴメちゃん」と呼びかけるダイの声もまた素晴らしかった。

この一連のダイとゴメちゃんのシーンで私も言わずもがな涙したのだが、この涙はなんの涙なんだろうかと思った。
そもそも、なぜゴメちゃんはここでバーンに殺される(あえてこう書くが)物語上の必然性があったのかと考える。
別にゴメちゃんが殺されずとも、ダイの願いを最後にかなえて、ゴメちゃんは生きていてもよかったのではないか?と。
だがそこにはやはり必然性はあると私は思う。まずそもそも、これまでにゴメちゃんが少しずつ小さくなってきたということを三条先生が物語のなかでしっかり描き続けてきてくれた重なりによって「ゴメちゃんの力がどんどん消耗していった」ことが既にある。これが大きい。どのみち力尽きる運命にあった、というゴメちゃんの言葉の説得力がこれで劇的に大きくなっている。
そのうえで、じゃあどのようにゴメちゃんは消えるのが物語としてはハマるのか、というと、やはり正体が神の涙であり、それはバーンにとって毛嫌いというか恨むべき神々の遺物ということで、バーンにとって排除する正当性があるということが重要だと思う。バーンからしたら神の涙の排除は必須なのだ。
そこには「友達を奪って苦しめよう」という発想がまったくないことが重要だ。なぜなら、ただの神の涙というアイテムにそこまで共感する、それを友達だと思うことじたいがバーンからすると「異常な振る舞い」だからだ。
だがバーンからしたら異常であってもダイにとってはごく当たり前のことだった。差別せず、種族関係なく、友達は友達。デルムリン島を出て、世界を守る勇者という旅でのロールを演じる前からの、昔からの友達。その友達の正体がなんだってよかったのだが、その友達が神の涙である以上バーンという存在はそれの抹消にしか興味がない。
もちろん、いままでバーンとダイは完全に立場として敵対していたわけだが、どこか気持ちをわかってしまう部分がダイにはあった。それは強すぎること、孤独なこと、などなど。だが、ここにきてのゴメちゃんを抹殺することを厭わなかったバーンの振る舞いによって、ダイは「魔人と化す」と同時に「世界を守るために自分を捨てる」決意を固めたと思うべきだろう。バーン抹殺と地上消滅阻止を達成するためにはなんでもする。純粋な友達思いの少年が、こうして最後修羅と化すというのがダイの大冒険という物語のすさまじさでもある。

さてそして、響き渡る「立てよ!ダイ」の声。でろりん、ずるぼん、へろへろ、そしてまぞっほ。この人は、それこそ邪悪に始まって、常にせこいことばかりし続けていた、人間の中で一番どうしようもなく描かれるキャラなのだが、そんな高潔とほぼとおい人間が、ダイとの出会いから影響を受けて動き出したということ。これがダイの大冒険という作品の大きな1つのテーマ(だと私が思っている)「人は変われる」の象徴に思うのだ。

世界中の姿が描かれるなかで、デルムリン島、ブラス、そしてモンスターたちの姿が描かれたのもまたよかった。それこそ「人間」という種族にとどまらず、世界にいきるすべての命がここに思いを集わせることを感じられた。

最後のバーンパレスの天馬の塔の遠景と、広がる雲の形が、ゴメちゃんをかたどっていたことに私は最初気づかなかった。これはツイッターで見て知ったのだが、そう思ってみると、完全にここはそうだ。ああ、美しいなぁ。ゴメちゃん、ありがとう。


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