ダイの大冒険(2020)第84話が放送された。タイトル「起て、宿命の騎士」。ゴロアの重力波に抑え込まれたダイが双竜紋に目覚めて、ドルオーラで魔力炉を吹き飛ばすまでが描かれた。

とりあえず冒頭に登場するゴロアの声がなんかかわいい(笑)。そして赤い。赤いよゴロアさん。原作だとスクリーントーンも貼られていなかったのでてっきり白系かと思ってた。が、たしかこのゴロアも読者の応募によって生まれたキャラだったはずなので、もしかしたらこの赤はその読者のアイデアの色だったりして?それが四半世紀ぶりにカラーリングされた、とか?

さて、魔力炉についてゴロアは「半分機械」だといいバーンは「生きたエンジン」だと語る。前から思ってたけど、この世界に機械とかエンジンとかってあるんですかね…。ベンガーナの戦艦は帆船だっただろうか。エンジン駆動の機械はおそらくこの世界はないのではないか。魔王軍側のキラーマシンの原理は不明だが…。

ゴロアが会話しながらぼこぼことお腹を叩いて重力波を発生させるところ。結構適当に腹を叩いてるように見えるのだが、あんな出し方でちゃんと重力波をコントロールできてるのかな?

ダイが魔力炉に斬撃をして、見えないバリアのようなものに弾かれるところ。このバリアはいったいなんなのだろうか。ゴロアは破られることを恐れているが、かつてダイヤ9の炎が闘気ではいくら出力を上げても消せなかったように、物理攻撃では突破できない性質とかならば別に破られる心配はいらないのでは、と思ってしまったが。それとも仮にそういう性質があったとしても、ゴロアはそれを知らなかったとか…まあそういう可能性はありそうだ。

ただ、ダイがアバンストラッシュで真っ二つにしようと思ったということは、ダイが叩いてみた感触としては高威力の攻撃なら突破できるという感覚があったということだろうか?しかし、アニメで描かれた位置関係でダイがアバンストラッシュを放ったら明らかにレオナに当たりそうだが、これは大丈夫だったんだろうか(笑)。

そのあとのゴロアのセリフ、原作だともっとあとにくる「船底ぐらしともおさらば」というのがこのかなり前のところに持ってきてあって、ほかにもセリフは結構ばっさりとカットされている。このあたりアニメの流れ重視の観点としては自然だろうか。あとは「一人のパワーでは絶対動きがとれないムーン」というセリフが「おまえのパワーなんかに負けないムーン」と変わっていた。まあ、たしかにダイは一人しかいないからちょっと原作のほうがよくわからないのかな、と思ったが、いやいやまてまて、このあとバランから受け継いだ紋章が発動すると考えると「一人のパワーでは」というセリフは圧倒的に本質を突いていたのではないか?いやゴロアごとき小心者が本質を突いたらマズイから変えたんだろうか(笑)。

あとそういえば原作にあった、ゴロアがダイの剣で攻撃しようとするときにアイデアを思いつくための「剣豪話」はもちろんカットされていた。あれ結構面白いのだが(笑)。ゴロアがおとぎ話を聞いていたということは、ゴロアにも幼少期があったのか?幼ゴロアはどんなキャラだったのか?っていうかあれか、あとに出てくるちっちゃい太鼓のモンスターだっけ…。ってなるとあれが成体?いやもう色々謎(笑)。アニメでカットして正解かもしれない(笑)。

そして、ゴロアがダイの剣をひろって攻撃しようとするところ、ここでなぜ最強AI搭載のダイの剣は、ゴロアなんかに使われてしまったんだろうか?ダイの剣は使い手を選ぶ。まかりまちがってもゴロアなんかが拾ったところで使わせてはいけないと思うんだが。いやでも、じゃあ考えられるのは「剣はすべてわかってた」ってことなんじゃないのかと。ここでダイが2つめの紋章を発動させることを予期していたのではないか、と。だとすると、ほんとにもうこの剣はすさまじい。

ゴロアが剣を振り下ろし「グッバイムーン」からの回想。ここは回想であることがわかるように、映像のトーンや音の響きも相当アレンジしてあった。そしてダイとバランの二人だけの世界が展開され、会話がなされる。ここ、原作では雲の上だというふうにはあんまり見えていなかったが、アニメだと青空と雲のコントラストが美しく、空なんだという感じが伝わる。ポップがメガンテをしたときもそうだったが、生と死の境目のような状況は、この空と雲で描かれることが多いのかも知れない。

そしてAパートからBパートにいき、ゴロアがびびるところから始まるが、そもそもゴロアは竜の紋章の事自体認識してるのか怪しい。別に紋章が増えたというより、たんに重力波から立ち上がったことに驚いたのだろうか。

原作でバーンさまが双竜紋誕生について長々とたれる講釈はだいたい圧縮されていた(笑)。まあしょうがない。このテンポの展開であの講釈は入れられない。原作漫画だとあの講釈が印象に残ってたりするわけだが、これもまた漫画とアニメの表現の変え方といえよう。

ふたたび剣を振り下ろすゴロアの剣をやすやすと片手で白刃取りしているダイだが、なんでまったく切れなかったのか。やっぱドラゴニックオーラによる硬化がすごいのか、それともやはりダイの剣が気を利かせたのか(笑)。

双竜紋に目覚めたダイの目の描き方がかなり印象的である。緑の光輪が周囲に伸びて、ハイライトがなくなり、意志が乗っ取られているかのような雰囲気がある。

ダイが助け出したレオナが黄金に輝いているのがアニメだからこそできる表現であり、よかった。これはもちろんゴメちゃんが魔法力を放出してくれたおかげであるが。印象的である。

レオナがダイに「いいから早く!」というシーン、原作とアニメで顔の描き方が結構違っていたのも面白かった。原作はかなりギャグ漫画的な怒り顔なのだが、アニメは、まあこれもギャグ漫画的ではあるが目を閉じての表現だった。このあたりの差も面白い。

小さくなったゴメちゃん、そういえば獣王遊撃隊のバッジは小さくならないのだろうか。っていうか、どうやってあれ、くっついてるんだ…。これまでのかなり激しい動きの中でも外れてないんだけど…。
と思ったら!!レオナがさらっとバッジを外しているではないか!これ原作読んでいたときにはまったく気づかなかった。アニメだから気づいたことである。ってかわりとかんたんに外せるのね。

さて、ここでゴロアが自分の魔力を魔力炉にやって最後の突撃をかまそうとするわけだが、ここでのバーンの攻撃中止の命令はなぜまったく聞かれなかったのか。ここに、バーンの魔王軍の組織マネジメントの欠点が集約されているので軽く整理しよう。

バーンはそもそも力と功績のある者を評価し、無力なものや失敗ばかりするものを容赦なく格下げ、拘束、抹殺する。力の支配である。そのなかで、ゴロアは船底ぐらしを出たいと思い、実績を挙げる機会をきっと何百年も待っていたのだ(すごい忍耐力だけど)。その千載一遇の機会が目の前に現れたとして、そこでバーンの命令が聞けるかというと、それはもう聞けるわけがないのである。力の支配によって冷や飯を食ってきたものが、そのルールの中で成功する機会を見つけたら飛び込まないわけがない。バーンは「魔力炉の代わりなどいくらでもある」「咎めはしない」などともっともらしいことを言うが、そもそもバーンがやってきたマネジメントの根底を考えた時に、そのようなロジック、交渉が部下にさえ通じないというのは、まさに身から出た錆なのである。ということで、ここでダイが双竜紋の力を解き放ちドルオーラを放ったのはもう不可避だったのだ。

そして放たれる親子かめはめ波…ではなくドルオーラ。興味深いのは、黒と紫色のスパークがドルオーラ発射時にまとわれていることだ。どちらかというとこの色使いは、魔王軍、暗黒闘気サイドの色である。なので、アバンの使徒側がこの色のエフェクトを使うのはかなり印象的である。これは、それこそ「破壊の化身」と化した父バランの凄みがドルオーラには宿っているということなのであろうか。

ますます人間離れするダイ。そしてそれは、悲しいエンディングへの入り口でもある。


【Podcast】 Cast a Radio 「ダイの大冒険」を語る