ダイの大冒険(2020)第83話が放送された。タイトル「バランの遺言」。ラーハルトがダイにこれまでの経緯を語りつつ、ダイとレオナを先に行かせる。そしてレオナが魔力炉にとらわれてしまうまでが描かれた。

冒頭、ビーストくんによってヒュンケルの身体状態が解説されるが、ここで原作でもそうだが、ヒュンケルは「あなたは妙な格好をしているがただ者ではないな」と語る。このシーン、いままであまり疑問に思っていなかったが、ふときづいたのは「え、ヒュンケル、これがブロキーナ老師だって知らないの?」ということである。ヒュンケルほど洞察力、とくに戦闘関連で本質を見抜ける男が、この見識を持つ小さな人を老師だと気づかない、ということがあるほうが変なような気がしてきた。そもそもこれまでに直接の絡みはなくても、マァムなどから話は聞いていただろうし。となってくると、ここでのヒュンケルと老師の会話シーンは一体どういうことなのか。興味深い。

そしてクロコダインが肩を貸そうとしてヒムに肩を取られるシーンであるが、そもそもクロコダインやヒムの身体能力からすれば、肩を貸すよりも、おんぶするなり、なんならお姫様抱っこをするほうが移動速度が早いのではないだろうか?肩を貸すのが一番移動速度が遅そうに見える。それでも肩を貸すのは…やっぱおんぶやお姫様抱っこはヒュンケルとしてイヤなのだろうか(笑)。

ラーハルトがヒュンケルの生死を語るシーン。ここで、ラーハルトはヒュンケルを「不死身だ」と評してダイたちを安心させるわけだが、よく考えるとラーハルトはヒュンケルがあしたのジョーのラスト状態で倒れた状態から離脱してきたのに、なぜヒュンケルが死んでいないと言い切れるのだろうか。物語では、ビーストくんの回復呪文によってヒュンケルの命はつながったと評されているが、ちゃんとビーストくんの到着が間に合うこともラーハルトは分かっていたということになるんだろうか?

そしてラーハルトがダイに部下になると語るところで、原作ではよく見るとダイが「部下ッ!?」というところで鼻水を出している。ひょっとすると原作におけるこれがダイの最後の鼻水なのではないかと思ったが、アニメのほうでは、種崎さんの演技がまた面白い。ズッコケた感というか、ぶったまげた感というかの出た声が印象に残る。一方、圧倒的な真顔のラーハルト。この対比が面白い。

さて、ラーハルトがポップに槍を渡すシーンなのだが、ここで投げる槍の音が、びっくりするくらいに軽い。中が空洞でカラーンとしているような音だ。鎧の魔槍の金属は、相当軽いらしい。だが一般的には武器は軽いと威力はその分落ちるように思うのだが、別にそれはいいんだろうか。

ミストバーンのビュートデストリンガーを回避したあとラーハルトが「攻撃の当たらぬ男に何か不安がおありですか」とラーハルトが語るところ。これ、私はずっと「攻撃の当たらぬ男」はミストバーンのことだと思っていたのだが、日本語的にはよく考えると、これがラーハルトのことだとしても成立するんだということに、アニメで声を聞いて気づいた。「(相手の)攻撃の当たらぬ男(がダイなしで闘うことに)何か不安がおありですか」ということである。このあたり、日本語特有の省略の面白みみたいなところはある。

ところでここで「残像」という概念が出てくる。実はダイの大冒険世界では残像という概念はほかにはあまり出てこなかったように思う。えてして、残像というのはバトル漫画で実力差を露骨に示すときに使われる表現が多かったように思う。ミストバーンとラーハルトの場合でいうと、速度に関してはラーハルトのほうが上である、ということを示しているのかもしれない。

Bパートになりラーハルトがバランの遺言状の中身を話すが、完璧によどみなくしゃべるラーハルトを見て、なるほど彼は完全に遺言状を暗記しているのだということを感じた。確かに彼にとって父といえる存在のバランの遺言状であれば、暗記するほど読み込むのも当然かもしれない。

なお、遺言状の文字が、原作と漫画では驚くほど違っているのが興味深い。原作では筆記体のアルファベットなのか魔族文字なのかわからないが、そういう文字で書かれているが、アニメだと妙に滲んだ謎の文字で書かれている。こ、これは一体…?ラーハルトの目が涙で滲んでいたということの表現なのか?

回想シーンで、幼少期のラーハルトが出てくるのがアニメオリジナルで興味深かった。どうやらラーハルトが小さいときには、すでにガルダンディーとボラホーンは大人だったようである。しかし、それほど幼いときから一緒に過ごしていた仲なのに、人質作戦をとっただけでボラホーンをぶち殺したラーハルトは、尋常じゃない決断力ではないだろうか。バランも、ボラホーンの死骸を見てなんとなく気づいたんじゃないだろうか。あれこれ、魔槍でぶち抜かれてるじゃないか、と。そうなると仮にボラホーンが蘇ったところでラーハルトとうまくいくはずがない、と考えると、実はガルダンディーとボラホーンには蘇生措置なんてものはしなかった可能性すらある(笑)。

ダイが、仲間たちによって前に進ませてもらうシーンでは、アニメオリジナルで、ダイの道の後ろにキャラたちのイラストがかかれていた。これはよかった。

ダイが天魔の塔に向かうところで、アニメオリジナルで「レオナ、ゴメちゃん、ここからは気をつけて」というシーンが入っていた。そして、そこからの、天魔の塔の大きさがわかるようにキャラを小さく描き、そして階段を回りながら登っていくカットがいいなぁと思った。後ろには空が描かれ、ここが天空であることを感じさせる。本当に、ここがラストバトルの場所なのだ、という描き方を感じる。ダイとレオナとゴメちゃんが島ではじめた冒険が、いよいよ最終章に入ってきたのだと。

ところで、ダイたちに響いてるバーンの声が、なんかすごいエコーというかエフェクトがかかっている。これ、どういう原理でバーンはダイたちに声を届けているんだろう。天魔の塔の各所にはスピーカーがつけられるんだろうか?やっぱりバーンほどの最高権力者になると、魔界のヤマハみたいな高級スピーカーを使ってるんだろうか?それにしては音がイマイチではないか(笑)。

そして、ダイがレオナにパプニカのナイフを返すシーン。ここが、すごかった。
正直にいうと、涙が止まらなかった。

レオナが「違うわ、うれしいの」といってダイを抱くシーン。からの、回想での最初の冒険。最後の決戦の前に、一番最初の出会いを思い出しながら、そして今の状況を受け入れながら話をする。

なぜここで涙が止まらなかったのかを考えたのだが、それは多分、「未来泣き」を私はしてしまったんだろうと思う。

つまり、原作のエンディングを知っている私は、大魔王バーンを打倒したあと、みんなで仲良く平和に暮らしましたとさ、にならないことを知っている。地上を救ったダイは、決して王女レオナの元に帰ってこないのだ。
なんなら、その予兆があった。そう、ダイ自身が真バーンを相手に「お前を倒して、地上を去る」と晴れやかにすら見える顔で言い切ってしまう。そして、実際にそのとおりの結末を迎える。レオナからすると、それはあくまでダイの覚悟の話であって、実際には絶対にダイを地上から去らせるつもりなどなかったはずなのに(もし人間たちが文句を言うなら彼女は正義と信念でそれを解決しようとしただろうから)それをする前に、勇者は自分の手を離れてしまう。

このエンディングを知っているからこそ、このダイとレオナの抱擁シーンが、胸に来た。
かつて、記憶をバランに消されたダイがテランの城の地下牢にいたときに、レオナが一度抱きしめて口づけをしたように見えたシーンがあったが。作中で描かれる、少なくともはっきりとレオナがダイへの気持ちを行動に移したシーンは、そのときと、今回のこの抱擁だけなのだ。そして、これが最後なのだ。

一般論として、物語における「泣けるシーン」というのはいくつかパターンがあるが、得てして、重要なキャラが死ぬとか、感情を表に出すとか、あくまでその場面における変化に起因することが多いのだろう。それは、そういう設計で物語をつくるからだ。
そして正直いうと、そうやって狙って「泣かせにくる」作品は私は基本的に好きではない。安直過ぎるし、そんなん私でも思いつくわ、と思ってしまうのだ。物語をつくるプロフェッショナルの表現であるなら、その物語の体験に、没入させてくれよ、と思っちゃうわけである。

しかし、未来を知っているがゆえに、そのシーンの意味の逆算的な重さに胸が詰まるという、という体験があることを、私は今回このシーンを見て、初めて気づいたように思う。
それは原作を描いていた時点で、三条先生や稲田先生が意図していたことなのかはわからない。
ただ少なくとも、私は何度漫画を読んでいても、このシーンでそういうふうに胸を詰まる感覚をいだいたことはなかった。
今回、それを感じさせてくれたのは、このアニメーションとしての素晴らしさだ。演出、音楽、表現、そして声優さんの演技。あらゆるものが一体となって、私は今回、未来泣きしてしまった。

ということで、ダイの大冒険83話。個人的には最高の回だった。

ところで次回予告、思いっきりゴロアが出ちゃってる(笑)。全然隠してもらってない。もうちょっとゴロアも隠してあげて!!
あとそうだ、面白かったのはエピソード内でのできごとの順番を、次回予告では意図的に変更してるんだなぁということに気づいたことだ。ゴロアが剣を振りかざしてダイに斬りかかるところでは、もう双竜紋が発動している、だからこそダイは剣を指で受け止めて、ゴロアを壁に打ち付けることができる。しかし、そのあとで予告の中で、まだダイが双竜紋に目覚める前の重力波で抑え込まれるシーンが出てくる。これはつまり、時系列が逆転している。次回予告としてワクワクさせるためには双竜紋発動前で終わるのがいいんだろうという判断でこうなっているんだと思うが、だとするとどうして剣の受け止めシーンを描いたのだろうか?そもそもなくてよかったんじゃないかという気もするが。気になる。


【Podcast】 Cast a Radio 「ダイの大冒険」を語る