ダイの大冒険(2020)第69話が放送された。今回はアルビナスとマァムの戦いに決着がつき、ヒュンケルもヒムに勝利し、そしてポップとシグマの闘いが進みつつあるところまでが描かれた。

アルビナスがマァムに対して、ダイたちパーティの全員を自分一人で葬るつもりだったと告げるところ。しかし今回のエピソード後半パートで、ヒュンケルは「親衛騎団クラス」というざっくりな表現で、ダイたちパーティのメンバーと親衛騎団メンバーの戦闘力関係でいうと、自分たちのほうが上だということを明言している。この矛盾はどのように解釈するのがいいのだろうか。

まずそもそも、ダイの大冒険の世界は「闘いは相性」という概念が大きいことを理解しておく必要があるだろう。後にラーハルトとミストバーンが戦ったとき、戦闘技術そのものではラーハルトのほうがわずかに上回っているような描き方がされているが、実際ラーハルトの得意技では決してミストバーンにダメージを与えられない。しかしプロモーションしたヒムは戦闘技術は大きくラーハルトに劣るものの溢れる光の闘気のパワーでミストバーンを圧倒する(ということを戦えなくなったヒュンケルが予言してそのとおりになる)。つまるところ、「闘いは相性」があるので、組み合わせによってはじゃんけんのような関係になることもありえる。

ということを念頭においてアルビナスとヒュンケルの話を、各人の脳内認識における戦闘の勝敗という観点で考えてみたときに、しかしやはりじゃんけんではなく、直接の勝敗に関する予測が2人の間でまったく違っているということになるのではないだろうか。
たとえばアルビナスはヒュンケルに1vs1で勝てると思っているし、ヒュンケルはアルビナスに1vs1で勝てると思っている。ただしこの食い違いは、お互いの「切り札」と「パワーアップ」をそれぞれ正しく認識していないため、という可能性が高い。アルビナスの両手両足を使えるようにした形態をヒュンケルは知らないし、ヒュンケルが光の闘気を大幅に強化して素手で鋼鉄兵士を引き裂けるくらいになったことをアルビナスは認識していない可能性がある。
仮にこの時点で、両手両足を使える形態になったアルビナスと、ヒュンケルが闘ったらどうなるかというと、まぁ多分ヒュンケルが勝ってしまうだろう。ヒュンケルは戦闘の天才なので、マァムが今回の闘いの最中で見抜いた女王の攻略法をもっと早く見抜くかもしれない。

かつて、初めて親衛騎団と対峙したときに「生まれついての戦闘の天才たち」であると彼らをダイたちは評したわけだが、天才とはいってもドラゴンの騎士が持っているような「闘いの遺伝子」ほどに戦闘のデータベースや経験があるわけではない。バランとダイに対して、1vs2の不利な勝負を挑み、バランの裏をかくことに成功するも、横にいたダイのことを完全に忘れていてあっさり倒されてしまったフェンブレンのことを思い出す限り、その点はそうそう外れていないだろう。
ということで考えると、アルビナスが「アバンの使徒を全員倒せる」ともし本当に思っているとしたら、それは彼我の戦力分析が不正確と言わざるを得ない。

もし本当に思っているとしたら、だ。
今回アニメを観ていて思ったのは、アルビナスは内心どこかでアバンの使徒に討たれることを予期していたのではないか、ということである。なぜなら、今回のエピソードでマァムに撃破されたときのアルビナスは、セリフとしては残念だと言っているものの、本当に悔しくて呪い殺してやろう、死んでも取り憑いてやろう、みたいな思いは特に感じられない。むしろ倒されたことで、楽になれたような印象すら受ける。
もはやハドラーは助からないし、ハドラー自身がバーンからの離反を表明した以上、ハドラーに対する絶対の忠誠を誓うアルビナスとしては従うのが務めである。今回触れられているようにバーンに懇願するというのは、独断も独断だし、ハドラー救命を受け入れるバーンでないことがアルビナスにもなんとなくは分かっていたのではないか。だが、そうなってしまうともうアルビナスにやるべきことがなくなってしまう。それを認めないために「アバンの使徒を一人で倒す」という偽りの願望を掲げたのではないか。それが実力的にも、実際的にも不可能だということをほぼ知りながら。

ということで、アルビナスは討たれる覚悟でこのバーンパレスに立っていたのではないかと思うのだ。
とはいえ、正直なところマァムに討たれるつもりは最初はなかっただろう。後に自分で口にするようにマァムを雑魚と侮っていた可能性は高い。

色々と脱線が長くなってしまった。エピソードの話に戻ろう。

アルビナスの”変身”シーン。よく考えると今までずっと手がなくて戦ってきたというのは恐るべきハンデの付け方?である。ニードルサウザンドが強力な飛び道具であり、近接戦闘でも使えるワザだからあまり困っていなかったのかもしれないが、格闘戦になると流石に不利。
原作では、いきなり手がニョキッと出ていて驚きを読者に与えるコマであったが、アニメだと変身シーンが先に来ていた。ガチンガチンという金属音とともに変身する。そして、変身後に、足の部分を後ろからのカットで描く。ここでアルビナスの高速形態では、ハイヒール的な足になっていることに気づく。というか、わたしもいままで20年以上、この形態のアルビナスの足がハイヒールだったことに気づいてなかった。私以外にもこういう読者は結構いるんじゃないだろうか。それを気づかせるためにこの角度のカットを入れたとしたら、見事な演出だ。

アルビナス戦を通じての原作とのアニメの大きな違いは「スピードに関する言及の大幅カット」があった。原作だと、スピードのちがいをしばしばアルビナスが強調するのだが、アニメだとそれがない。理由はいくつかあるのではないかと推測している。たとえば、文字、漫画として描く分にはアルビナスの強さや自信の描き方として有効になってくるものの、アニメとして口頭でスピードの話をしても、実際アニメで描くほうが説得力があるので、冗長に感じられるという観点はあるだろう。あとはスピードを強調した強さの演出というのがドラゴンボール以後もうあまりに手垢のついた表現になっていて、今それを改めて出すというのもちょっと時代に合わないという部分はあるのかなと思う。

さて、マァムがアルビナスに停戦を呼びかけるシーン。「あなたはハドラーのことを」と言うあとに間髪入れずに「アッハハハ」とそれを否定するところがあるが。原作だと、その時点では本当にそんなことは1mmも思っていない、というような描き方にも見える。ところが今回アニメでは、アルビナスの見下ろしカットが入り、また目の部分を暗くすることも含めて、すでにハドラーに対する愛をどこか認めている、という様子を視聴者が想像することもできるように見える。
また「愛しているとでも」とアルビナスが言うということは、その構図が愛と一般的に扱われるものだ、ということアルビナスが認識している、ということになる。

マァムの鎧化。これが最初で最後のアムド、いわゆるマアムド(っていうのか?)。鎧の○○シリーズの中で唯一アシンメトリーなのがかっこいい。
そしてCM入と出のアイキャッチ音楽はやはり前回と同じように変わっていたようだ。

そして、原作でもあった、サウザンドボールの蹴り返し。キャプテン翼よろしく豪快なシュートを放つが、やはりこのシーンでの謎は、「魔甲拳に魔法を弾き返す能力はあるのか?」ということである。これは原作からそうなのだが。たしかに鎧シリーズの金属は対魔法防御が高いことは周知だが、魔法を跳ね返せてしまうのはオーバースペックではないだろうか。むしろ、それができるならばこれまでヒュンケルやラーハルトもやっていてもよさそうなものだが、さすがにそれはできていない。彼らクラスでもできないことをあっさりやってのけるマァム。これはいったいどういうこと?
ひとつの考え方としては、ロン・ベルクの武器防具制作能力がかつて鎧の魔剣、魔槍を作っていた時期よりも向上していたという可能性があるだろう。当時のロン・ベルクはまだ、魔法を跳ね返すことができるまでの能力を武具に宿すことはできなかった、ということだ。また、当時の武具は、特定の誰かが装備することを想定して作ったものではなく、バーンへの献上品の1つであったことも忘れてはならない。それに対して、今のロン・ベルクの武器制作レベルで、加えてマァムという明確な使用者を想定して武具を作ったときに、武器のコア(ロン・ベルクの武具には魂があるのだ)もそれに適応する形で、以前よりも高い能力を発揮できるようになった、ということは考えられるだろう。その結果、武具とマァムという使用者が一体となり、サウザンドボール蹴り返し、という驚くべき結果を出した可能性があるのではないか。

さて、老師との回想が入り、猛虎破砕拳の登場するところ。よく考えると、一点に闘気を集中させて拳を放つというのは実はものすごいレベルの高い闘気コントロール術ではないのだろうか。ダイ、ヒュンケルは闘気を使いこなして戦っているが、実はマァムも闘気コントロール力は相当高いのではないだろうか。ただし、闘気の絶対量がダイやヒュンケルほどには多くないということは想像される。その多くない闘気をすべて集中させるという意味のマァムの闘気技だが、逆に言うとこれ以上闘気の総量が増えていく可能性が低そうなマァムにとっては、これ以上強くなることはない、いわばマァムにとっての最後の闘いということにも整合性がとれるのだ。

ダイ好きTVでも触れられていたが、マァムの回想その2、ネイル村のチェスシーンは残念ながらカットされていた。まぁ、これは進行上仕方ないところであろう。

そして、いよいよ炸裂する猛虎破砕拳。この構えの時点で、炎のようなエフェクトが立ち上がり、マァムの顔にも虎の顔のような紋様がかさなる。これは原作にも確かにあったのだが、私は原作を読んだ時点ではそこに気づいてなかった。今回アニメになることで、この「虎」成分が極めて迫力ある形で描かれていた。これがとても印象深かった。
バランがかつてヒュンケルと戦ったときにドラゴンの姿の幻想?イメージ?が見えるシーンがあったが、マァムの猛虎破砕拳は実はそれにつながっているのかもしれない。人間を越えたドラゴンの騎士に対して、人間の武の究極系であるブロキーナのモチーフが虎。そう考えるとなかなか興味深い。

アルビナスが敗れたあとに語るシーン。ここが原作で読んでいたときよりも、すごくぐっと来たのが個人的には印象深い。もちろん原作でもとても味のあるシーンではあるのだが、アニメでアルビナスというキャラクターの内面が伝わるような描き方がされ、そしてばっちり合った音楽とサウンドとも相まって、本作を通じて特にぐっと来るシーンになっていたと感じた。
最後にマァムが心の内でアルビナスに向ける台詞が、原作では「あなたはやっぱり女性だったんだわ」となっているが、アニメでは「あなたはやっぱりただの駒なんかじゃなかったわ」となっている。この変更は興味深い。もちろんこれは時代背景があって、ジェンダーを強調するような表現をなくす考え方が大きいとは思うのだが、このアニメ版の台詞のほうが、アルビナスの言葉、すなわち「ただの駒だ」という決めつけ(自分をそう思い込ませようとしていた)に対するアンサーになっていると思い、その点でもとてもよいと思う。アルビナスは、自分自身では自分の中にある思いを認めることはできなかったが、それはハドラーへの愛ゆえに、愛を認めることができなかったのだ。それを引き取ったマァムが、このあとでポップにちゃんと向き合うということを考えると、アルビナスの残したものは小さくなかったのだ。

このあと、ヒムが登場と同時にヒュンケルに瞬殺されたりしているが、長くなったのでこのあたりで!ヒムすまんな。また再登場のときに語るわ!


【Podcast】 Cast a Radio 「ダイの大冒険」を語る