ダイの大冒険(2020) 第41話が放送された。ミストバーンが逆上し、闘魔滅砕陣の威力を強める中、ダイの剣を受け取ったダイがパプニカに駆けつけ、大地斬で鬼岩城を真っ二つにするところまでが描かれた。

闘魔滅砕陣が、今回原作よりもわかりやすく描かれていたことにきづいた。というか、ヒュンケルが最初の虚空閃(目覚め中)で破った部分で、蜘蛛の巣状の闘魔滅砕陣がなくなっており、1、2ピース食べられたピザのような形になっていた。マァムがいるところも闘魔滅砕陣がいったんなくなっていたが、だったらマァムは立てたので?と思ってしまった。

闘魔滅砕陣に関してふと思ったのは、今回食らっているメンバーの顔ぶれを見たときに、クロコダインという鋼の肉体を持つキャラもいれば、アキームやバダックという超ふつうの人間もいることだ。どの程度の威力なのかはよくわからないが、ミストバーンが相手によって威力を調整しているとは思えず、一定の威力で範囲攻撃をしていると思われる。それでいうと、同じ威力でクロコダインとバダックにかかっていて、苦しみ方が似たようなものというのは、どういうことなのだろうか。肉体強度に関係なくダメージを与えるような性質なのであろうか。しかし「体がねじきれる~!」という悲鳴を上げているキャラがいることを考えると、やっぱり肉体強度が高いほうが耐えやすいのではないか?という気はする。仮にそうだとすると、バダックやアキームが死なない程度の威力ならば、クロコダインにとっては鬼岩城の砲撃程度でしか効かないものだと思ってもよいのでは?と思ってしまう。しかし実際には、クロコダインは闘魔滅砕陣をくらって、ほとんど何もできていない。
これについて考えたときに思い浮かぶひとつの説は、「闘魔滅砕陣は大した威力はない」ということである。

ミストバーン自身、ちゃんとこれまでに闘魔滅砕陣で強敵を殺したことがあるのだろうか?ミストバーンの使命はバーンの肉体を守り抜くことと、バーンの肉体を預かっているという秘密を絶対に漏らさないことである。したがって、なるべく戦わないほうがいい。前回のダイログで「ミストバーンは敵の戦闘力を正しく分析する力が低そう」と書いたが、それも、今までほとんどちゃんと戦ってこなかったのでは?長く生きてるわりに戦闘経験が足りないのでは?ということに起因しているのかもしれない。

あともうひとつの説は、「闘魔滅砕陣は闘気や肉体の防御力を無効化するような性質を持っている」ということだ。暗黒闘気が直接肉体に作用することで、闘気(光以外)や肉体、あるいは装備などの防御力はほとんど意味をなさなくなる。もしこうだとするなら、クロコダインもバダックにも似たようなダメージになっていることはなんとなく説明がつく。とはいえ、駆けつけたダイによって闘魔滅砕陣が破られたあとでパーティメンバーはわりとピンピンしていたことを考えると、どのみち威力は大したことがないのでは?という気もする。
拘束力は強いものの、殺傷力は低い。何かに似てるなと思ったらこれ、ザボエラがバルジの島で使ったザラキみたいなのだ。あのときもバダックがザラキを食らっていたが、結果的にはもちろん死なずに、呪文が妨害されるまで耐えきっていた。ゲームにおいてザラキは「即死呪文」という印象が強く、当たれば即死、はずれれば(あるいは無効なら)まったく意味無し、という形だ。
もちろん、漫画だと簡単に主人公側のメンバーが死んでしまっては困るので(笑)あのような演出になったのだとは思うが。闘魔滅砕陣も、なんとなく、それに似たものを感じる。

今回、大礼拝堂に鬼岩城が向かうシーンで、オリジナル演出があった。ガストがマホトーンを仕掛けてきて、アポロとマリン、エイミの三賢者はまんまとそれを食らってしまうのであった。これにより、後に鬼岩城が迫ってきても、レオナたちはルーラで脱出ができない。確かに原作を見返すと、アポロたちがいるわけなので、ルーラで逃げればいいではないか、というのは今まで全く気づいていなかった。それをマホトーンのシーンを入れることで「脱出不可能」にしたことにより、ダイが鬼岩城をぶった切る意味が増した。これはよい演出だったと思う。魔法を封じられた賢者って、ほんとにもう役立たずだ。
見事に都合よく3人揃っているところにマホトーンを食らっている絵面はちょっとおもしろい。三賢者が警戒心薄いというか、なんでそんな一緒にいるのかは謎だ。

そういえばちょっと残念だったのは、ダイが剣を持って工房を離れるときに、ロン・ベルクとジャンクの会話のシーンがなくなっていたことがある。過去、ダイログでもPodcastでも何度も言ってきたとおり、制約がある中で最大限の情熱を込めて制作されているアニメだということは認識しているので、カットそれ自体はやむを得ないと思っている。それはよいのだが、この2人の会話のシーンには重要な意味があると私は思っていて。それは「魔族の人生は密度が薄い」という真実を明示的に言語化してくれるのは、このロン・ベルクが発端なのだ。後に、超魔ハドラーがダイとの「真竜の闘い」で敗れたときに心から満足しているのは、密度の薄かった魔王そして魔軍司令の時代と、ダイと戦うことに全霊を尽くした超魔生物時代の対比があったためである。また、真バーンとの最終決戦でポップがバーンに対して、魔族に対する人間の命の短さがあるがゆえに極限の力が出せるのだと言い切るシーンもまた、「魔族の長すぎる命」という設定があるがゆえに輝く言葉である。
読者の世界観構築の観点に立ったときに、これらのシーンの重要な起点となっているのが、実は今回カットされたロン・ベルクのセリフにあることは明白だと個人的に思っている。
ということなので、今回ではなくてもいいので、今後のどこかで、このロン・ベルクの言葉を入れてほしいものではあるのだが。

また別のシーンだが、鬼岩城の中に侵入したダイが剣からドラゴニックオーラを放って、まず玉座にいるシャドーを吹き飛ばすシーン(これは原作も同じ)。このシーンを見ていて思ったのは、これって剣からオーラが放出されていて、それなりに攻撃力を持っているということなのか?ということだ。もしそうだとするなら、ダイは別にドルオーラを使わずとも、ダイの剣を使うことで、オーラを使って遠距離拡散攻撃できることになる。雑魚一掃という観点では、これ一番便利な技ではないかな…。

あと最後に、ダイが鬼岩城を倒したあとで、クルテマッカ7世の目がめちゃくちゃ光っていた。これもアニメオリジナルなのかな?と思ったら原作でもしっかり光っていた(笑)。いやぁ気づいてなかったなぁ。

というわけで次回はついに死の大地登場。徐々に物語の折り返し点が近づいてきた感がある。


【Podcast】 Cast a Radio 「ダイの大冒険」を語る