ダイの大冒険(2020)第95話が放送された。タイトルは「最大最後の逆転」。ダイがアバンストラッシュXを決めバーンの左腕を切り飛ばし、そのあとでライデイン連発でダメージを与えるも、バーンによるピラァオブバーンの6本目の発射により直下の地域がふっとばされるまでが描かれた。
今回、タイトルの「最大最後の逆転」が、そもそも原作にあったんだっけと思って原作を見たところ、なるほどたしかにバーンがピラァを落とすエピソードがそのタイトルになっていた。改めて思うと、ここでいう「逆転」は不利になりかけていたバーンが隠していた作戦のベールをついにあかし、6本目のピラァを放ち、ダイたちに対して再び有利(というか自分の作戦通りだったということを示してマウントするというか)になることを意味している。
これは考えてみると2つおもしろいところがあって、まずそもそもバーンは不利だったのか、というところである。このあとのちにバーンとダイたちは再戦というか再びバトルでぶつかっていくわけだが、そのときにもポップ自ら、バーンのほうが戦闘力的には依然として上であることを認めている。となると、そもそもまずバーンは不利になっていなかったんじゃないか思ったりする。
もう1つは、「最後」と言っているが、バーン側が有利になる形の逆転はこれが最後なのか、という話である。その答えとしては上述のように、地上破壊を食い止めたあともやっぱり現場の武力ではバーンのほうが上だからダイたちを皆殺しにすればいい、とバーン自身が発言する。となると、そこもまた「逆転」なんじゃないかとなんじゃないか。
いやまあ、タイトルとしてかっこいいから別になんでもいいんだけど(雑なまとめ)。
今回、冒頭でポップがシグマからシャハルの鏡を受け取るシーンがアニメ化される。ダイ好きTVでサイトーブイさんも話していたとおり、ここがアニメ化されるのは熱い。というか、久々にきいたシグマの声がめちゃくちゃかっこいいなと思った(笑)。そもそもシグマはダイたちに対して常に敵という立場で話していた以上、ここまでしっとりと情感こめてしゃべることはなかったんだなと気づいた。ここにきてのシグマの時間差名アシストが改めてかっこいいね。
アニメオリジナルの演出として、砕け散る鏡の破片にシグマの顔が映り込むシーンがあったのがいいなぁと思った。
そしてダイのアバンストラッシュX。ここはそう、ダイが右手が使えないので左手のストラッシュになるわけだが、それもただのストラッシュではなくて超高等技であるXのほうを利き腕じゃない左で放つのがどれだけすごいかというのは、もちろん原作を読んでいたときから思ってたけどアニメのすばらしい作画、エフェクト、種崎さんの演技として見ると、いやはやほんとにこれはミラクルの一発なんだなと思えた。あとこれ、やっぱりバランの紋章を継承して左手でも紋章を持つことになったから成立したドラゴニックオーラの威力なんだろうなと思うわけである。
ただ、このあとのストラッシュXが炸裂して、バーンの左腕が吹っ飛ぶシーンについては、アニメを見たあとで改めて漫画の表現のすごさを感じた。アニメでは血が(緑色の魔族の血)が噴水というか吹き出るようなところから炸裂が表現される。そして、腕が舞い上がって落下してからバーンの「おおお 余の腕が いかなる武器にもまさるはずの余の腕が」という内言が入る。いっぽう原作では、バーンの顔に血が「ピッ」と落ちるところから、ページをこえて、次にバーンの内言が2ページにわたって続きながら、腕が舞って、バーンの顔が描かれていく。なるほど、たしかにこれをそのままアニメ化しようとするのは難しいというか、内言の発話と腕やバーンの顔のアニメーションのタイミングを無理に合わせようとしてもあまりかっこよくないことになってしまうのかなと想像した。だから、アニメのこれはこれでいい表現だと思う。ただ漫画の、この時の止まるような瞬間の描き方が、なるほど漫画だけでできるというか、三条・稲田先生コンビの生み出したダイの大冒険における圧倒的な表現の1つだったと気づいた。
そしてこのあとに来るシーンでも実は近いことを思ったのである。それが、天地魔闘の構えを破ったことをダイの仲間たちが確信して手応えを掴んだあとの、ダイがバーンの背後から飛びかかって剣を心臓に刺しに行くところ。ここは今回アニメだと、仲間たちが宝玉の中からしゃべり、バーンがアニオリセリフで「これしきで余が」と話すあとで、さくっとダイが剣をバーンに刺している。上述のように、これはこれでアニメの表現として、テンポもよく、アニメの視聴体験としてはもちろんとても良いなと思う。ただ私が、この場面における原作の描き方が多分あまりに好きなので(笑)なるほど改めて、このときの漫画の表現のすさまじさを再び感じたのだった。具体的にはナレーション「一瞬であった」が入り、「大魔王がストラッシュXで腕を決断されよもやの事態に我を失ってからこの瞬間まで」「それは時間にしても一秒にも満たない間だった」というナレーションが続き、そしてバーンが正気を取り戻したところでページをめくったときに「だがその間に」というナレーションが入り、見開きでダイが剣を振りかざしさらに次のページの見開き大ゴマで、バーンの左心臓に剣をぶちこむ。ここでまたナレーション「ダイは次の行動を起こしていた」と入る。
ここの流れが、改めてすさまじい。今回2020年版のアニメを見て、Podcastを毎週録りながら感じていたことは「作中キャラのしゃべることが本当にそうかどうかわからない」という話である。ただ、それには例外があって「ナレーションはほぼ確実に正しい」ということである。なぜならナレーションは作者という神の目線で読者に対して物語の理解を助けるための情報が提供されるからだ。とはいえ、ナレーションばかりの漫画というのは、それはそれで漫画としての面白さをそいでいて、状況説明ばかりのコンテンツでは仕方ないからである。それでいうとダイの大冒険のナレーションの登場頻度は絶妙で、読者の場面理解や、感情的な没入をうまく助けるところだけに入っている、という印象が強い。それでいうとまさにこのダイが呆然とするバーンに対して1秒以下で行動を起こしたというナレーション、そしてこの(セリフという意味では)静音な描写の組み合わせが、改めてとてつもない印象を読者というか私に与えていたことに気付かされた。
ダイがライデインをしかけはじめるあと、アニオリで地上シーンがいくばくか描かれたのが良かった。ノヴァとフローラが下からバーンパレスとその稲妻を見ながら推測と期待をこめて会話する。そしてそのあとなんとピクリと動くメルルの姿が!これは次週のメルルの超能力発動が明らかにされる前の布石として、いい演出だった。
そしてこのあとにくる、ダイがライデイン連発でバーンを攻撃するシーン、そしてそれを見てポップがダイに頼り切るしかないと内言で語るシーン。ここについては上述とは逆にというか、原作を読んでいたときにはそこまであまり思わなかったのだが、アニメとして見るとここは非常に心に刺さった。
豊永さんのポップが「ダイが命を削る」と語ることの重さというか、そのポップの苦悩が伝わってくる。この場面では音楽もあわせて、ポップの思いがこちらに伝わってきて、正直私は泣いてしまった。
そう、だから漫画がいいかアニメがいいか、というそんな話ではないということを改めて思うし、ここで言いたいなと思っている。ダイの大冒険という、90年代に描かれた最高の漫画が、それから20数年経って深い作品愛をもった制作の方々によって、「いまのアニメとして」最高のものを作ろうとして生み出されたこのアニメとなっていて、それをどっちも楽しめることが、それこそオールドファンとしてやっていきたいことだというのを改めて思う。
という話を書いたあとで書くのもあれだけど、バーンがこのあとでバーンパレスが構成物質の浮遊力で舞い上がってると説明するシーン。もし制御能力がなくなって浮遊能力があるなら、垂直方向にもたしかに上昇するとは思うけど、横風というか横に流されはしないのか?と思ってしまった(笑)。もし横方向に流れていたらミナカトールの場所からも結構ずれてて、このあとピラァ落としても当たらないのでは?とか思ってしまった(笑)。
ピラァのアニメでの描かれ方は、ダイの大冒険のなかではひさびさにメカっぽいというかで、CGをたっぷり使った感じになっていた。
ピラァを落とそうとするバーンに対してライデインをさらに連発するところ。ここはアニオリでポップが「やらせるな!」というセリフと「やめろ!」というのが同じく入っていた。これまた、ダイとポップ2人でなんとか大魔王の策を止めようとする感じがしてよかった。
そしていよいよピラァの落下。ここが今回アニメをみて一番驚いたかもしれない。下からのカメラでピラァの落下をとらえ、その横部分がしばし映り、今度は見下ろしのカメラになって地表に刺さる。そして巨大な爆発が描かれ、瞳の宝玉もはねころがる。そして落下したらピラァのまわりで更地になったところも描かれる。
ここは漫画だと比較的短いコマで描かれていたのに対して、アニメだと丁寧に描いていたのが面白かった。
どうでもいいんだが、ピラァの落下した地点の周りが吹っ飛んでいるのはあれはなんなのだろうか。当然、黒の核晶の威力ではないはずである(笑)。あくまで巨大質量の物体の落下だとして、そうだとすると爆炎が上がるのはおかしい。とはいえ、その爆炎で黒の核晶が誘爆してもらっちゃあ困るので、そこまでの威力ではない。うーん、あの爆炎はなんなんだろ?
このあとバーンがピラァ6個が連動して地上を吹っ飛ばすところの説明の用語が一部原作からアニメで差し替わっていた。具体的には「六星魔法陣」というところで星の概念がなくなって「六角魔法陣」になっていた。これはアバンたち正義の使徒たちが使う魔法陣が五角形、星型ではなくてサクラの花びら型になっていたのと同じく、コンテンツのグローバル展開を考えるうえでの宗教的になにか問題が起こしたくないという配慮での表現ならび用語の変更であろうとは思われる。ただいきなり出てきた「六角魔法陣」という言葉がちょっとおもしろかった。
ダイがバーンに「おまえを爆発前に倒せば」というあたり、原作だとダイは左手でバーンの首そのものを掴んでいるように見えたのだが、アニメだとバーンの首ではなくて服を掴んで引っ張っているように描かれていた。やっぱ首を直接締める、みたいなのは子どもが見るアニメということでは避けるという配慮があるんだろうか。それとも単にこのバーンとダイのサイズ感でいうと首を直接締めるような感じだとアニメとして表現しづらいのか。しかし、その服を掴んで引っ張る感じがなんかちょっとヤンキーっぽさがあるというかそんなふうにみえた(笑)。
バーンがひさびさにチェスの例えを出してきたが、それでふと思ったのはどれくらいバーンはチェスが強いんだろうか。やはり全知全能のバーンはチェスも世界最強なのだろうか?それとも意外と弱くて、ネイル村の長老にも勝てないレベルだったりするのだろうか(笑)。
作品は全然違うけどハンターハンターの蟻編のラスボス、メルエムは軍儀というボードゲームにハマり、しかし人間の天才指し手の女の子コムギに勝てず、それがきっかけで色々と考えが変わっていくわけだが…。
うーん、バーンのチェスの強さは実際どれくらいなのか気になるなぁ。個人的には意外と弱いんじゃないかと…(笑)。
バーンがダイになんのために闘いをはじめたのかと訊いていくところからの一連の流れ。バーンが「消えるのだ」と言い放ったあと、アニメではダイの目が大写しになって、そこから光というか色が消えていくシーンが入っていた。これは「消える」という言葉にうまくかけた演出だなぁと思った。もちろんここでいう消える、は地上が消える、という意味なわけだが、その事実認識がトリガーとなって、ダイの心の中からも戦意や目的達成のための思いが「消える」ことになり、その現れとして目から光が「消える」という描き方。
仰向けになってまばたき一つせず、しかし涙をとめどなく流しながら一言も発することのないダイと、一方膝をつけて下をむいて思いを率直に言葉にして大泣きしながら目を閉じているポップ。この対照的な2人の絶望感の表し方が、改めてこの場面におけるバーンの策略の完全な成功と勝利を感じさせるんだなぁということが今回アニメを見てはじめて気づいた。やはりこれは、ダイの無音無言さと、ポップの大泣きというのがアニメーションとして動きや音として対比がわかるように演出されていることが大きいのだろうと思った。
あとポップの鼻水のシーンも入っていた。もうビビリの鼻水が出ることはないポップだけど、このときの涙でぐしゃぐしゃの鼻水はきっと最後の鼻水なんだろう。
このあとバーンがピラァの一斉爆発のタイムリミットを説明するところ、原作だと5分だったが、アニメだと10分に延びていた。さすがにこのあと5分でなんとかするのは無理があるよな、ということかもしれない。しかし10分でもやっぱり無理だとは思うけど、でもまぁ30分とかじゃいかんせん長い気もするしね。なかなかこのあたりは難しい。
最後、バーンが「感無量」と言い放って今回終わってしまう。なかなかとんでもないところで終わるが、ふと思うと、原作ファン・ならび今のアニメの視聴者としてダイの大冒険のアニメがこの素晴らしいクオリティでここまで展開されてきたことが感無量だなと思う。バーンさんよお、あんた最高に憎ったらしい、魅力的な悪役だぜ。
次回は多分ヴェルザーのカットインから始まるのだろう。ヴェルザーがどんな声になるのか楽しみである。そして次回タイトル「閃光のように」ひょー、ついに、ここまできた。
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