ダイの大冒険(2020)第71話が放送された。タイトル、「真竜の闘い」。ダイがアバンストラッシュXをハドラーに決めるも、ハドラーが生命の剣を繰り出して立ち上がるところまでが描かれた。
冒頭、この闘いの解説としてヒュンケルと大魔王バーンが同期して入れ替わりつつ語ってくれるシーン。まずマァムが「この熱風はダイとハドラーの激突が生み出したものなの?」と問いを出すが、それにヒュンケルが「熱風なんてもんじゃない、高密度のエネルギーだ」という回答をしている。早速ヒュンケルの大解説である。
この説明は原作にはなく、アニメオリジナルである。これは興味深い。この時点でヒュンケルは真竜の闘いの本質を見抜いているのだ。
あとはシーンがバーンの側になると、ピロロがなになに?と興味を見せて、キルバーンが「興味深い話ですね」と合いの手を入れる。これもアニメオリジナルだ。
そして、バーンが魔界の昔話を始めるが、ここで原作では「数百年前」となっているがアニメでは「はるかな太古」となっている。このあたりは時系列的なところをふわっとさせておきたいというところがあるのかな。アニメの場合は原作に比べると活字ではなくて音声なので、数字情報はなるべく少なくする、という制作のセオリーがあるのだろうか?とかふと思ったりもしたが実際はどうなんだろう。
ヴェルザーのいる場所が、魔界の火山の火口に見える。そんなところで戦っていたら、相手に倒される前に噴火で死なないの?とかちょっと思ってしまった(笑)。
ヴェルザー対ボリクス戦、アニメーションというよりは止め絵メインで描かれた。ただ真竜の闘いのバトルフィールドのところだけはなぜか回っていた。
しかしふと思ったが、のちの原作進行で明らかになるようにヴェルザーは、ピロロを使ってキルバーン人形に仕込んだ黒の核晶で邪魔者を倒そうとするあたり、かなり知略派というか、少なくとも武力でなんでも障害排除するというスタンスではなくなっている。しかしバーンの語るところでは、当時の冥竜時代のヴェルザーは力だけで勝とうとした、というような話に聞こえる。この変化はいったいどういうことだろうか。後に明らかになるように、若き日のバランに敗れ、天界の妖精たちに封印されてしまったことで、力だけでは勝てないと悟ったのだろうか。そこで知略というか、頭脳プレーで地上を手中に入れるように発想を変えたのかもしれない。まぁそれにしてもキルバーンが卑劣、残酷なのはこれはヴェルザーの意図を汲んでいるのか、ピロロというキャラクターがそうなのか、なんともよくわからないが。
そして再びヒュンケル先生の解説イベントに戻る。マァムやレオナが疑問を出し、それにヒュンケル先生が回答するというスタイルになっていることに改めて気づく。
そういえばヒュンケルが鎧の魔槍の武器を投げてエネルギーフィールドで燃え尽きるシーンがあるが、あれ、鎧の魔槍の金属ならば高熱でも効かないはずだと思っていたのだが。エネルギー密度が高いと壊れてしまうのか?
メドローアでハドラーを倒そうとするポップが、ハドラーとダイのサイズ感を理由に体力の上下を判断するくだりはよく考えてみると面白い。というのは必ずしもサイズが強さではない、というか、かつてマンドーコバヤシで三条先生が語っていたように「最初はどすこい」的なシナリオでいえば、でかくて力がありそうな敵がわりと早めに倒されるというのがバトル漫画のセオリーであり、それ以後は特にサイズ感と戦闘力に相関関係はなくなっているという認識が成立するはずだからだ。しかしポップは「身体のでかさ」を加勢の理由として出す。これはどういうことか?実際には身体の大きさは関係ないが、そんなことはポップもわかっていて、だが加勢するわかりやすい理由がほしかった、と解釈するべきかと思っている。いわば自分の加勢(メドローアでハドラーを倒してしまうこと)の正当化の理由である。それを受けて、レオナの主張が入る。ダイの魂の力について。このシーン、原作ではゴメちゃんは最初からレオナの肩のあたりにいるが、アニメではなぜか途中でレオナが両手でゴメちゃんをもっていた。そのあと気がついたら、次にレオナが映ると、もうまた肩にいた。なんだこのゴメちゃんの高速移動!(笑)
ダイの魂の力については、ここで「純真さ」というレオナの推測が実質確定事項となっている。だがこれ、のちにアバンが復活したときに答え合わせをしたのだろうか?とちょっと気になる(笑)。
さてこのあと、ダイは開発した必殺技アバンストラッシュXを披露するが、まずいつからこの技はダイの中で「切り札」に昇格していたのかが気になる。ノヴァとの特訓のなかで思いついたときには「ちょっと打ち方が違うだけなんだ」と述べているのだ。また「気休め」とも言っている(ダイの剣がまだロン・ベルクから戻されていなかったという理由はあるだろうが)。この言葉に嘘はないのだろう。思いついた時点では、ダイはそこまで強力だという認識はなかったということだろうか。だが、このハドラーとの運命をかけた決戦で繰り出しているということは、絶対的に威力に自信がないととても使えないであろう。
むしろ、この後立ち上がったハドラーに対して次回でギガストラッシュを放つが、なぜこの「一発目」でギガストラッシュのほうを使わず、アバンストラッシュXのほうを持ってきたのだろうか。威力が確実に高いという意味ではギガストラッシュなら疑いようはなかったはずだ。ではなぜギガストラッシュではなく「開発したて」のストラッシュXを先に使ったのか。
演出上の理由は当然あるのだろうが、それはいったん置いといて、単純にダイの心理という観点に立つならば、むしろこのXのほうが自信を持っていたのではないだろうか。交差点の威力においては並ぶもののない高い破壊力が出せるのであれば、いまそれを使うときだ、と。となるとそれをくらいかけていたノヴァは本当に危なかった(笑)。
Xが決まったあと、光がクロスし、それが地上のノヴァにまで視認されて「ダイが新必殺技を使ったんだ!」と歓声を上げるオリジナルシーンが入る。これはとてもいいのだが、しかしノヴァは誰相手にXを放ったのかまでは想像がつかないのではないかと思う。普通に考えるなら、バーン相手にXが炸裂した、と思ってしまうのではないのだろうか?となるとまあある意味ではぬか喜びだ。
このXを食らったダメージと、追加してエネルギーフィールドが注がれたダメージはさてどれくらい大きかったのだろうか。考え方によっては、このあとに出てくる真バーンとの闘いよりもダメージは大きいような気がするが、わりとハドラーは平然としているように見える。覚悟を決めたハドラー、信じられない耐久力である。
ハドラーの脳内で親衛騎団のことに思いを馳せるが、フェンブレンは忠誠心があったのかは若干疑わしいところである。主君に抜け駆けでダイたちを倒そうとしたからなぁ…。
そして、食らった後に立ち上がったハドラーに対して、ダイがポップを制するために「先生、じいちゃん、父さんがいる」と人を挙げるが、原作ではここで世界の王様が入っていた。王様、カット。
【Podcast】 Cast a Radio 「ダイの大冒険」を語る