新年になり、正月1週目は放送スキップとなり、第2週に、ダイの大冒険の14話が放送された。今回は、ダイたちがヒュンケル打倒後にレオナたちに連絡をとり、バルジ島の拠点に行き、フレイザードがレオナを暗殺しようとするのを阻止するところまでが描かれた。
今回は、原作漫画といくつか描写が変化している点があったので、そこをざっとメモっておきたい。
ダイが火炎大地斬を放って、信号弾を吹っ飛ばしてしまうシーンのあとで、ポップが「おめえな、ヒャドで氷結大地斬とかそういう頭はねえのかよ」というすごく具体的なツッコミが入っていた(笑)。氷結大地斬、ついぞ原作では最後まで使われることのなかった技であるが、もしかして2020年版ではどこかで出てくるのかという謎の期待が高まる(笑)。実際のところ、火炎大地斬とライデインストラッシュ、ギガブレイク、ギガストラッシュしか魔法剣は出てこないわけなので。
あとは、反省するダイが小さくなるというシーンが原作および91年版では描かれているが、これもカット。ギャグ描写が大幅にカットされてシリアス調にまとめられているのが2020年版の特徴という話はこれまでに何度か出したが、実際のところカットの一番大きい理由は、小さくなったダイのサイズ比較で、たばこが登場するからかもしれない。喫煙シーンや喫煙を奨励するようなシーンはアニメに出さないという時代の違いである。画像はカバー参照。
気球からエイミが降りてきたあとで、ポップが発言する表現も微妙に変わっている。原作および91年版では「こんな若い娘が!?」というものだったが、2020年版では「こんな若い女性が!?」となっている。これもまた、前に触れたように、主人公たち正義の側のキャラは、発言から可能なかぎりジェンダーバイアスが削られているという時代を反映したものといえよう。
バルジ島の塔でレオナや臣下たちが会話するシーンもけっこう変わっていた。原作では、食料争いをする兵士たちのところに無言で近寄って、バシっと食料をはたき落としてしまうという強烈な登場であるが、2020年版ではまず「離しなさい」という声がけをして喧嘩を止めさせ、そのあとで話し合って食料を分けるように諭すという形に変わっている。この背景はなんなのだろう。やはり、食料を無駄にするシーンを描くのは良くない、というなんらかの表現的配慮が働いたためだろうか? しかし、「貴重な食料であっても喧嘩のタネになるならいらない」というレオナの戦時のリーダーシップを見せるのが目的のシーンなので、食料をダメにしたところで別に食料を無駄にしたことにはならないとは思うが…。なお2020年版でレオナが食料を塔から捨てようという演技をする場面があるが、上から見た構図で描かれると、塔の外壁が分厚すぎて、とても落としたくらいでは食料が落ちないことがわかってしまうという、謎の場面がある。これはどう解釈したらいいのか…!
あとは、アポロとマリンがフレイザードにそれぞれ火炎と冷気の呪文を放つも手をクロスして受け止められて、フレイザードがそれをお返しするシーン。原作では白っぽい何かを吹き出しており、それが何かは不明。91年版では、炎だけをお返しているように見える。そして2020年版では、なんと炎と氷がミックスされたようなブレスを吐き出している!惜しい、もうすぐでメドローアだよフレイザード!マトリフが後に語る「いい線行ってた」のはマンザラでもない。
余談ではあるが。
誰かメドローアを編み出してフレイザードに教えてあげたら、フレイザードはすさまじく強かったはずである。しかし、物語ではそうはならなかった。理由は2つあると思っていて、まず1つは、魔物たちはそもそもが強すぎて、より強くなるための技術的な工夫をする必要がないため、メドローアを編み出したマトリフのような「創意工夫」に至らないためだろう。もう1つは、それこそ魔王軍は、信頼感ではなくて、戦闘力と恐怖によって支配・統括されている組織であるためだ。したがって、強い技を工夫して編み出したところで、それをほかの魔物に教えても、自分が寝首をかかれる危険を上げるだけということになる。技や知恵を共有しあうインセンティブがまったくない組織なのだ。であれば、仮にメドローアが誰かによって編み出されたとしても、フレイザードがそれを知ることはなかっただろう。
と、こう考えると、現実の現代社会の組織にも、魔王軍型になってる組織、ありますよね〜、なんてことを思うわけである。
話をアニメに戻そう。2020年版では、フレイザードがマリンの顔を掴み放り投げるシーンでは「貴様、マリンになんという真似を」とアポロが吐き捨てるシーンがある。ところが91年版と原作では、掴んだあとにわざわざ火を放ってから投げ捨てるというより残酷な描写になっており、アポロは「女の顔になんということを」と吐き捨てる。この一連の違いも、やはり時代の変化ということであろう。
余談2。
戦闘行動を通じての殺傷は、それが魔王軍と人間たちどちらの方向からでもある程度正当化される(なぜなら戦争状態にあるからだ)のに対して、残酷行為に関してはすくなくとも魔王軍側が人間たちに行うことには怒りを持って非難される。この非対称性は、多くの勧善懲悪型ストーリー作品に出てくることであろう。
ただダイの大冒険が魅力的なのは、人間側も残酷行為を行っているということだ。バランに対する火刑(理由は異種族だから)、それをかばったソアラに対する侮蔑の言葉、などは、むしろ魔王軍が単体で行う残酷行為よりも、その社会的背景を考えるにずっと残酷だという見方もできる。
それでもなお、最後にダイが「人間に疎まれてもバーンを倒す」と言い切るところが、実に味わい深い。
と、それはさておいて、最後に気づいたこととして、レオナがなぜかフレイザードにヒャドを撃つシーンが描かれるのが2020年版の違いである。これはなぜだろう?