ダイの大冒険(2020)第31話が放送された。紋章を拳に移したダイが、バランと大激戦を繰り広げ、ドルオーラを耐えて、最後の剣での対決に至る直前までが描かれた。
今回は、過去一番力の入ったバトルシーンだった。観ている人の多くがそのように感じたのではないだろうか。
特に象徴的なのが、バランとダイの顔である。特にぶん殴られるバランの顔の歪み方と、そのあとのダイの顔のドアップのシーンは、もはや完全に劇画のソレを彷彿とさせる。
今回2020年版アニメのビジュアルについては、これまでこのnoteで語ってきたとおり、基本的に「アニメとしてきれいにまとまった絵」で統一感をもって作画されていると私は感じていた。特に象徴的には、ギャグシーンなどにその傾向を強く感じた。原作ではギャグ的なところではかなりデフォルメされた顔や身体の動きがつけられていたところも、アニメではあまりデフォルメをかけることなく、トーンをほとんど変えずに描いてきた。デジタル作画技術の進展もあいまって、それが特に「きれいな」アニメという印象を与えていたように思う。
が、その流れからの、今回のダイ対バランの昭和劇画顔での殴り合いである(笑)。いやはや、令和から平成どころか、さらに戻って昭和にタイムスリップした気持ち。あのシーンだけ切り出したら、魁!男塾のワンシーンだと言ったほうが信じられるように思える。
だがその表現は悪くなく、むしろ強烈なインパクトを与えることに成功したように思う。いやー、このビジュアルは、やられた!そんな気持ちだ。
あとはがらっと話は変わるが、今回バトルの途中で、テラン王が登場する。以前のnoteで、なんかやたら若返ってないかと私が突っ込んだシン・テラン王であるが、今回なんと原作にないセリフが追加されていた。
「わしらも選ばねばならんな。どちらの竜の騎士様が正しいのかを。」
このセリフは、聞いた時は正直ズコーッときた。え、選ぶものなの?という、よくわからないなぁ、という戸惑いを感じたのだ。
だが、少し時間をおいた今は、意外とこのセリフはハマっているセリフかもなと思えるようになった。テランの人々は、攻撃を受けてもそれを天命だと思って抵抗しない、ということがレオナには納得いかない。そして、バランとの戦いを選ぶ。それは、テラン王にとっては、決して取ることのできない選択だ。竜の騎士を崇め奉るのがテランの人々のしごとであり、その長がテラン王なのだから。しかし、レオナの決意を前に、テラン王はそれを否定せず、協力することを選ぶ。その時点から、テラン王はこれまで数十年選ぶことができなかった道を歩み始めたのだ。その初めての決心が、今回出てきたシーンのセリフにはこめられている、と考えられるのだ。それはすなわち、正当なる竜の騎士であるバランと、その子どもではあるが正当な騎士ではないダイをそもそも天秤にかける時点で「竜の騎士の攻撃ならば滅んでも仕方ない」という諦観思考から抜け出ているということだ。いやまさしく、テラン王は、シン・テラン王になったのだ。
あと今回見ていてなるほどなと思ったのは、レオナがポップにザオラルをかけるシーン。気づいたひとは多いと思うが、原作だと、ポップの身体の上に十字の光をかけるのだが、今回アニメでは、逆Y字の光になっている。
これは、十字の光というのがキリスト教の象徴という印象が極めて強いためと思われる。諸外国にもアニメが放送されることが前提になっていることも含めて、多様な文化の人々を視聴者として意識してアニメを作る中では、現実世界の特定宗教のモチーフを入れないということは妥当な配慮だろう。
ゲームのドラゴンクエストシリーズを思い出してみると教会が出てくるが、たしかファミコン版では十字をいろいろなところに掲げていたように思う。死んだ仲間の棺桶にも、十字が描かれている。これはファミコン版を作った当時においては、そこまでグローバルのプレイヤーや人々を意識した文化的配慮を持つという慣習がなかったためだろう。しかし時代が下る中で、その配慮は必要なものとなっていった。最近のドラクエを私はプレイしていないのでなんともいえないが、いま画像検索してみたところ、ドラクエ11では、今回のアニメと同様に逆Y字のマークが基本になっているようだ。というかむしろこのドラクエ11の設定を今回のアニメで借りたということなのかもしれない。
さて、次回でついにバランとの戦いが決着する。ダイの大冒険の序盤のクライマックスが収束するわけだ。たしかゴメちゃんが初めて話す(ポップの夢の中で)シーンなので、ゴメちゃんがどんな声なのか気になる(笑)。