ダイの大冒険(2020)第65話が放送された。ヒュンケルが暗黒闘気のグラスを飲み干してからの賭け成功パワーアップ、ダイたちの合流、ロン・ベルクがミストバーンを抑えるために出陣するところまでが描かれた。

最初にメルルが敵の数を察知するが、よく考えるとこの能力はすごすぎないか。敵のモンスターの数がわかるというのは、いわば現実世界の戦争におけるレーダーと同じである。第二次世界大戦において、日本軍と英米軍においては戦場に投入されているレーダーの性能に大きな差があり、日本軍はそれによって戦闘で敗北を喫していたということは多くの人が知るところであろう。人力レーダー、メルル。この存在は、戦略的にも、戦術的にも、あるいは戦闘においても極めて有利に働く(相手が持っていないという限りにおいて)。戦いを通じてだんだん能力が開花していったメルルだが、すでにこの時点で人力レーダーとして戦闘の勝敗にかなり影響するレベルの貢献をしていたことは特筆に値する。メルルさんやばい。

さてヒュンケルが、ミストバーンから手渡された暗黒闘気のグラスを飲むシーン。飲み干してからグラスを落とすとグラスがあまりにもきれいに木っ端微塵になって消えていく。この物質はガラスに見せてガラスではない、ミストバーンの特別製のなんらかの素材なんじゃないかと勝手に思う。
しかし不思議なのは、なぜミストバーンは無理矢理に暗黒闘気のグラスをヒュンケルに飲ませようとしなかったのか。あれだけ疲れ切った状態のヒュンケルならば、ミストバーンの腕力を持ってすればとても簡単だったのではないかと思うのだが。
なぜあえて、「ヒュンケルの自らの意思で暗黒闘気を受け入れる」シナリオにこだわったのか。私はこれは、ミストバーンのプライドがそうさせたのだと思う。つまり肉体的にヒュンケルを配下に収めるという結果よりも、自分の暗黒の支配を精神的にヒュンケルに再び受け入れさせたいという欲求が上回ってしまったということだ。もちろん、どういうプロセスをとったところで最終的にはヒュンケルを再び暗黒に染めることができるというミストバーンの自信過剰がその背景にはあったのだと思うが、とはいえ結局はヒュンケル自らが飲むというアクションを選んだことによって、クロコダインとコミュニケーションする時間と機会を生んでしまい、ヒュンケルが光の力で暗黒闘気を克服するチャンスを作ってしまったということはできるだろう。
ほかのシーンでもそうだが、ミストバーンはどうにも自信過剰なきらいがある。そして逆上しやすく、実は冷静とは程遠いキャラクターである。それは後に語るように、自らは肉体を持って強化することができない性質からくる、ある意味では肉体を持つ者たちへの嫉妬心と、そして偉大なるバーンへの忠義心と恐れという、いずれも強い感情に行動原理を支配されている存在なのだ。
身体的にはもっとも人間や魔族から遠い存在でありながら、内面的にはじつはもっとも「コンプレックスと恐怖の感情まみれで人間くさい」キャラ、それがミストバーンなのかもしれない。

そういえばミストバーンの背中が映るシーンで、大魔王?イラストが服に描かれていた。なぜこんなかわいいイラストをつけているんだこの人は(笑)。

ミストバーンが暗黒闘気に支配されかかるヒュンケルに「傷は癒やしてくれたはず」と語りかけるシーンがあるが、のちにブロキーナ老師がヒュンケルの身体を見て「ダメージの蓄積で治療不能」という判断を下すシーンがある。さて、これはどちらの言っていることが正しいのか。まあ普通に考えれば、他人の肉体を道具としか見ていないミストバーンよりも、人間であり武術の達人であるブロキーナの言う方が正しいであろう。ただいずれにしても、光にせよ暗黒にせよ、闘気の力によって、肉体がボロボロであったとしても強大なパワーを発揮できることは間違いなさそうだ。最後にバーンパレスの中心にグランドクルスを放って脱出しようとするときにも、ヒュンケルは自分でグランドクルスができると言っていた。要するにこれ、肉体がどうなろうとも闘気は使えるということ。うーむ、闘気ドーピングおそるべし。

ミストバーンがクロコダインに対して「おまえも微力ながら闘気を使う」と言っているが、ダイ好きTVで声優の前野さんがツッコミを入れていたように、クロコダインの闘気が微力ってことはないだろうと普通には思う。ただここでいうミストバーンの「微力か強大か」の基準というのは、私なりに解釈するなら、「肉体が整った状態で初めて闘気が発揮できる」いわば肉体>闘気までしかいけない使い手は微力だ、ということなのではないか。逆に「肉体がどんな状態であろうとも、執念と気合で莫大な闘気を捨て身で使える」という狂気の使い手が「強大」だということなんじゃないだろうか。そういう意味ではたしかに、そもそも暗黒闘気の集合体であるミスト自身や、捨て身で闘気を撃ちまくるヒュンケル、全生命エネルギーを闘気に転換できるバランなどのクラスが「圧倒的な闘気の使い手」であり、そこまで達しないキャラは彼の基準では弱いと判定されても仕方ないのかもしれない。そういう意味ではアバンでさえもヒュンケルのレベルには及ばないことを後に認めている。ノヴァは最初から闘気剣という高度な技を使っていたが、「肉体レベルを超越して闘気を使う」ほどには至っていないので、アバンと同等くらいかもしれない。が、よく考えたら17歳でアバンと同等レベルだったら人間としてはめちゃくちゃすごいけど。

そういえばヒュンケルが暗黒闘気に支配されそうなシーンで、情熱女子のエイミが飛び出しかけるところでチウに止められるシーン。チウのしっぽをフォブスターが微動だにせずに引っ張っているシーンがなんともシュールで面白かった。そしてこれよく見たら原作でもそうなっていた。全然気づいてなかった。

あとはミストバーンがクロコダインを処刑せよといって懐から剣を出すシーン。え、この剣はどうやって入っているの?彼が物理的にぶらさげていたのだろうか。しかし彼自身はビュートデストリンガーという技が使えるし、それを剣にしてデストリンガーブレードというように使えるので、剣はいらないはずだ。じゃあなんのために持っていたのだろうか。色々謎である。それともミストの暗黒ゾーンはドラえもんの四次元ポケット的な感じになっていて、遠く離れたところなのか異次元なのかにある物体を取り出せるのだろうか。だとすればとっても便利だが。
あと、取り出す瞬間に彼のペンダントが一切揺れないという剣に引っかかっていないのはどういう原理なのか。これも謎だ。
トテトテン♪「処刑用ソード〜」

ちょっと長くなってきたので端折ろう。
ヒュンケルにいじられて激昂したミストバーンが、素顔をちらつかせて全員倒そうとする場面。この瞬間の彼は闇の衣を取り払おうとしたのだろうか?しかしバーンの許しがないと闇の衣を払ってはいけないというルールは過去のキルバーンに指摘されており、さすがに同じ愚を繰り返すとしたらミストバーンも情けない。ということは、激昂はしたものの、暗黒闘気力だけで戦うことにしたんだろうか。だが、それでダイはじめアバンの使徒たちに勝てると思ったのだろうか。特に光の闘気で超パワーを得ているヒュンケルは、のちに明らかになるとおり彼にとっては天敵と呼ぶべき存在になっており普通に考えて勝てるとは思えない。ここに関してはバーンはどういうつもりだったのか、そしてミストバーンはどういうつもりだったのか。

逆上したミストバーンの足元からダイが現れるシーン。ここで原作通りポップが「火炎呪文で掘ったもの」と言うが、これ私は昔から不思議だったのだが、どうやって火炎呪文で地面を掘るのだろうか。土を高熱の炎で溶かすってこと?そんなうまくいくんだろうか。しかも熱を出すならギラ系のほうがいい気もするんだが。
そもそも大量の質量の土を掘るというのは、現代のトンネル工事マシンの大きさや重厚さを見ても分かる通り簡単ではないし、掘って出てきた土をどうするんだという問題が常に付きまとう。強いて言うなら、メドローアでぜんぶ消滅させました、ならそれでトンネルを掘ってもおかしくはない気もするが(笑)。

そして人間たちがなだれ込むシーン。ここに関して一番ふしぎと思ったのは、さまよう鎧の数が多すぎないか?ということである。36体いることは、今回冒頭にダイナミックに描かれているが、素手のヒュンケルに3体破壊され、ダイの登場時にざっと見たところ5-6体は破壊され、ノヴァにも1体破壊され、と考えると、残っているのは25体程度だろう。しかし人間兵士たちと戦うさまよう鎧たちはどう見てももっといっぱいいるのだが…。これはいったいどういうこと(笑)。

さて、ミストバーンが最後に闘魔滅砕陣を放つところで、剣の一撃であっさりとそれを止めてしまったロン・ベルク。ダイ好きTVでも言及されていたが、これはいったいどういうことなのか。空の技を極めているとは思えないのだが、彼が。圧倒的に強者になってしまうと、もはやなんでもありなのか。「力こそ正義」がバーンの哲学であり「正義なき力は無力」というのがアバンの哲学だが、「正義とか悪とかどうでもよくて俺は弱いほうにつく、そのほうが面白いから」という哲学のロン・ベルクがある意味一番すごいというか、もうなんというかかっこよすぎだよね。呑みすぎだけど。


【Podcast】 Cast a Radio 「ダイの大冒険」を語る