ダイの大冒険(2020)の16話が放送された。今回はマトリフに対する説得、ポップとマトリフの修行(1回め)、バルジ島への再上陸、が描かれた。

今回まず思ったのは、エピソードのタイトルが「大魔道士マトリフ」になっていることだ。すごい、エピソードのタイトルになるとは。たしかに今回のエピソードはマトリフが中心ではあるが、個人的にはマトリフは「めっちゃ良い味のサブキャラ」という感覚なので、なんだか面白く感じた。といいつつ、ダイの大冒険アニメ(91年)のほうでも「アバンの親友!?大魔導師マトリフの大特訓!!」というタイトル(30話)にはなっているのだが。ただ、91年版の場合は「大魔導師」という漢字は、のちに明らかになる「大魔道士」という漢字と違うので、今から振り返ってみるとちょっと違和感があるが。
過去のnoteにも書いてきたように、2020年版ではタイトルをシンプルにしているので(91年版と比較すると顕著だ)、シンプルにすると、肩書+人名、でタイトルが埋まってしまうという事情はあるだろう。私個人としては、このシンプルなタイトルは好感を持っている。

あと、今回のエピソードで、原作読者が気にしているのは「マトリフのセクハラシーン」がどのように表現されたか、ということであろう。これに関しては、Podcastでも再三述べてきている通り、「2020年現在の表現の社会的受容基準」ならびに土曜午前という放送時間枠(=子どもがメイン視聴ターゲット)という前提を考えるに、時代に合う形に変化されるのは不可避であることは明らかだ。それに対して文句を言うようなことは、そもそも時代観をつかめていないということだと思うし、そんな気持ちは毛頭ないということを先に書いておく。
そのうえで、今回のマトリフの行動と言動で面白かったのは、序盤でマトリフがマァムと出会った時に「もう立派にぱふぱふできるじゃなねえか」と発言したことである。原作には、「ぱふぱふ」というワードは一切出てこない。これは大変興味深い演出である。
ゲームのドラゴンクエスト(80-90年代)を遊んだことのある人たちにとって、ぱふぱふというのは、ある種特別な意味を持つ言葉である。いや別にゲームの世界観として大きな意味はないのだけど、ゲームのなかで性というタブーに触れたという意味で、強い印象をもっている人は少なくないと思うのだ。冒険の旅の中に、あえて性的なイベント(イベントといっても全然大したものではないのだけど)を差し挟む「効用」については、玉樹真一郎さんの考察に詳しいので、興味ある方はこちらの書籍を読んでいただきたい。

と、話がそれたが、話を戻すと、ここで「ぱふぱふ」というセリフを入れてきたのは、今回の制作チームの方々の「ドラゴンクエストへのリスペクト」の表明であり、「2020年現在の表現の社会的受容基準」にあわせる表現、のバランスの産物だと思うのだ。おそらく現在20歳以下の視聴者にとって、そもそも「ぱふぱふ」などというワードのコンテクストは一切不明なはずだ。コンテクストが分かるのは、かつてのドラゴンクエストをプレイした30代以上に限られるだろう。そして彼ら(私含めて)にとって、上述のとおり、「ぱふぱふ」とはゲーム中における印象的なイベントになっている。
特定の世代というか層だけが分かるような「ニッチ」でハイコンテクストのギャグを入れてくるというこの演出自体に、今回の制作チームの方々のドラゴンクエストというゲームへのリスペクトと表現上の工夫が伝わってきて、ニヤリとさせられるものがあった。

あとは、今回のマトリフのセリフとしては、マァムの母のレイラに対して言及するときに「まだ独身だったらおれが結婚してやるぞ」というものがある。原作ファンはよく知っているとおり、ここは原作では「いかんぞぉ あんないい女がいつまでも未亡人じゃ なんならオレがもらってやるぞ」というセリフであった。比べると、要するに「砕けた口語表現が、熟語を使った文語表現的になっている」ということではないだろうか。
Podcastでも考察してきたように、2020年版では、とくに正義のサイドのメンバーたちの発言に関しては、現在基準でジェンダー平等に欠けるものは変更されてきている。今回のマトリフもそれに該当したと見るべきだろうか。しかし、マトリフに関しては、そもそも「正義なのか?」というのは彼の経歴を振り返った時に感じることではある。魔王を倒したはいいものの、王の側近たちの嫌がらせを受けて王宮を去り、隠遁生活に入ったことは今回のアニメでも語られる。いわば「人間に対する失望」をダイに先駆けて味わったキャラの1人といえるだろう。その彼が、ダイに肩入れするのは、ダイたちの提示する行動が「正義」の旗印だからではなく、「アバンの敵討ち」という極めて個人的な動機に基づく行動であるから、と見るのが妥当ではないか。
その意味では、ある意味で人間でありながら「正義」とは遠い位置にあるマトリフの発言も変更することになっているということは、上述のとおり、工夫の産物として応援したいものではありつつ、なかなか難しいものだなという思いも感じるものであるということはちょっと述べておきたい。

マトリフのシーンの話が長くなってしまった(笑)。あとはサクサクと触れておこう。

マトリフとポップの修行シーンで、91年版に比べると、2020年版ではなぜかやたらマトリフとポップの距離が離れている(カバー画像参照)。これは過去noteでも少し触れたかもしれないが、2020年版では、2人のキャラが対話/戦闘するシーンで、意図的にだろうが、距離をかなり話して遠景から描くシーンが多いように感じる。なぜそうしているだが、ひとつには「短縮」による情報量の低下を補うために、距離感をあえて広げて背景情報を入れるという工夫があるのだろうか?

マトリフがバルジ島(いや今回のアニメにあわせるならバルジの島、というべきなのか)に飛ばす小舟を止める方法を模索するシーンで、ダイが無意識にバギを放つシーンがある。これは原作どおりだが、アニメではマァムがポップに「バギを使いなさいよ!」と言うシーンが追加される。これは面白い。というのは、ゲームをプレイした人なら誰でも知るとおり、バギは攻撃呪文ではあるものの、魔法使いではなくて僧侶にのみ(あるいは賢者)習得が可能な呪文であるからだ。ゲーム準拠で思考するなら、ポップにバギを使うことはできない。といっても、ダイがバギを使っているわけで、あまりゲーム準拠でどうこうというのはヤボな話ではあるが(笑)。「オッ」と思ったことは記しておく。

あとは、今回のアニメでは「バルジ島」が、「塔」と区別するためなのか、「バルジの島(しま)」という発話になっていることは幾度か触れているとおりだが、今回のエピソードでは、塔のことは「バルジ塔」と呼んでいるらしいことは判明した(笑)。

そしてアニメ本編とはなにも関係ないのだが、東京におけるテレビ放送時、CMとしてMr.Childrenのアルバム『SOUNDTRACKS』の広告が放送されていた。これのターゲットはやはり視聴している子どもたちの親世代なのだろうか?子どもは、ミスチル知らないよなぁ…。