ダイの大冒険(2020)の第38話が放送された。世界会議開催に向けての動きが進み、ダイたちがランカークスに行きロン・ベルクと出会い、剣をつくってくれる算段がつくまでが描かれた。

今回は、おそらくこれまでの38回のエピソード放送の中で、初めて戦闘シーンというものが一切描かれなかった回だろう。いわば、物語を進めるためのエピソードということだ。

そして原作読者の多くが感じたことだろう。「あれ、原作のこのシーンがない」「好きだったあのやりとりがなくなっている」と。おそらく今回はまた同時に、もっともたくさんの「短縮」が織り込まれた放送回だったように思う。

だが、それはよいのだ。なぜか。私はこのダイログの第1回のタイトルを「短縮から創造される別世界を楽しもう!」とした。それは、その時点で私は「ああ、今回のアニメ化はどうしても短縮せざるをえない事情があるのだ」と予想がついたので、それを肯定的に捉えるために、ある意味で自分にそのように認識させるためにつけたタイトルだったのだ。
だがそこから38回のエピソードが積み上がり、様々なメディアを通じて、今回のアニメ制作陣の皆さんが、心底にダイの大冒険を好きで、納得行くアニメ化をしたいと思っているということが伝わってきた。その蓄積がある今、思うことは、この短縮されたシーンの数々をアニメ化したかったのは、間違いなく制作陣の皆さんだろう、ということを私は分かっている。でもそれができなかったことには、事情があるのだ。
おそらくは、全体で使える放送期間、エピソード数というものに制限がある。その中で話をすべて完結に持っていくためには、どうしても調整をかけなくてはいけない部分が出てくる。しかし、重要なバトルの場面を削ることはできない。であるなら、今回のように物語を進めるところで、削っていくしかない。それが不可避ということだ。
かつてダイの大冒険がアニメ化されたとき(91年版)はダイの大冒険そのものが連載中だった。いわゆる連載中のアニメ化企画であり、どちらかという求められたことは原作に追いついてしまわないように引き伸ばしていくことだった。しかし今、原作完結から20年以上を経てのアニメ化ということは、このアニメのみならず、ゲームや各種商品はじめ、全体でのビジネスプロジェクトの設計図を引いた中で進めなくてはならないという構造に埋め込まれていることでもある。
だからそう、時には、駆け抜けなくてはいけない。短縮をやるならいっそ、一回に固めたほうが、踏ん切りがつく。そんな苦悩と妥協点の探り方を私は感じた。
そういうことが分かった今、私はこれ以上ここを突っ込んだりはしない。

ブロキーナがチウにかける言葉が短くなったり、
武術大会の選手たちがブロキーナへの弟子入り志願して断られるところがなくなったり、
そもそも森に行かず城からルーラでチウを置いてきぼりにする(風のことをやる)ようにしてたり、
パプニカの船のシーンがなくなったり、
ベンガーナ戦車部隊のシーンが完全になくなったり、
ナバラの発言がなくなっていたり、
ポップがバランを「理知的」というシーンがなくなったり、
スティーヌが台から落ちるシーンがなくなったり、
チウの「おじさんスルドイです」がなかったり、
ジャンクの店で剣を物色するシーンがなかったり、
ロン・ベルクに会うために森をあちこちいってチウがメルルに「立場を考えてくれ」と頼む一連のところがなくなったり、
人間ぎらいのロン・ベルクが「困るな」といって文句を言うシーンもなかったり、
ロンがジャンクの過去をいじるシーンがなかったり、
ニセ勇者一行が奇岩城に洋上でビビるシーンがなかったり。

…書いてみるとめっちゃあるなぁ。いやむしろよくこれだけ削った!あっぱれだ。